私の親友の緋沙子さんは貴女のように、継母から無視され酷使されて暮らしました(実母より継母を敬愛する子供さんも多いです、念のため)。緋沙子さんは小学校入学前から、継母が起きてから寝るまで、継母のそばについて小間使いや手伝いをしないと、「何様だ」と激怒されました。
継母は一日中機嫌が悪く、家じゅうの人に八つ当たりし、母違いの弟妹たちをもヒステリックに叩くので、弟妹たちのためにも緋沙子さんはずっと、彼女がそれ以上機嫌悪くならないように、自分の睡眠時間以外は神経を尖らせて暮らしたそうです。
人を恨むにも時間と恨む心の隙間が必要です。緋沙子さんは結婚後は、継母と別に暮らせることがうれしく、そして継母を恨む間がないほど別の苦労で忙しく、継母に無視され酷使されたことも過去のこととして(忘れて?)彼女と普通に付き合い、継母が老いてからはその継母に尽くしたり、助けたりしました。
緋沙子さんは継母が自分に優しくなったのを彼女の反省の証しだと思い、嬉しかったそうです。「美しい言葉をかければ美しい言葉が返ってくる」という諺を実感し、しかも自分が継母の役に立てば立つほど、自分を虐待した継母は、心底では後悔を募らせているだろうという快感があったそうです。そうして半世紀が経ちました。
ある日、実家に起きた小さな問題で、緋沙子さんは継母に意見をしました。緋沙子さんは実家の問題ではいつも私利私欲がありません。それを十分に理解するに至っているであろう継母は、緋沙子さんの意見というだけで、すんなりと受け入れると疑わなかったそうです。
しかし継母はその瞬間、「いつからそんなに偉くなったのだ!!」と、昔の奴隷主の顔つきそのままに、緋沙子さんに猛然と食ってかかり罵りました。その時の、鬼より醜い継母の様相が、昔、緋沙子さんを虐げたあの顔だったのです。その顔に、父娘で隷属させられた昔に一瞬にして連れ戻されて緋沙子さんに被虐待体験が蘇り、夜も眠れなくなったとか。
「三つ子の魂を百まで」持ち続ける人も
緋沙子さんは継母のご機嫌が、自分の時間とおカネと心を提供して、継母にとっては得する関係の上で成り立っていることは知っていました。この人は昔から与えることを知らず、奪うだけの人だったからです。しかし反省も学びもなく、緋沙子さんの献身を、当然の権利と考えてつけあがらせていたことまでは見抜けませんでした。反省と学びのない後期高齢者の存在を、緋沙子さんは遅まきながら、このようにして知ったのです。
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