親の過干渉が、子どもをSNSに走らせる? 「SNSが子どもを変えた」という幻想
米国の親にとって最大の課題は、子どもたちを家庭という繭からより広い社会に適応させていく手助けをすることです。米国において、子どもを保護しようとする傾向は子どもが10代の間を通じて非常に強いです。その結果、多くの若者は自分のスケジュール管理やいかなる意思決定の経験も持たないまま、大学に通っています。それは多くの問題を引き起こします。
――でも、子どもが被害に遭う事件について耳にすると、心配ですし、私もやはり子どもをひとりにしてはいけない、という気持ちがあります。
恐れを抱くのは自然なことです。私たちは皆、自分の子どもたちを安全で健康にしておきたい、と思っています。ただし、私たちは、外の世界で起こりうるすべてのことから自分の子どもたちを守ることはできません。それよりも、リスクを評価して責任ある意思決定ができるようなスキルを、子どもたちが身に付けるのを助ける必要があります。親として、これを心掛けておくことは非常に重要です。
孔子のこんな言葉をご存じですよね。「一杯のご飯をあげたら、その人は一日生きられる。自分でコメを作る方法を教えてあげれば、その人はずっと生きられる」。親業も同じではないでしょうか。
――確かに子どもはやがて巣立っていきますから、それまでに自立できる力を身に付けさせるのは親の務めです。
私が出会ったアメリカの10代は「仕事をしている大人」から「無視される権利」を求めています。そして、安全と保護を理由に、彼らの日々の社交を監視する家父長主義的な大人たちを退けようとしています。
2012年にツイッター、タンブラー、インスタグラムをいち早く使い始めたティーンたちに、これらのサービスをフェイスブックより好む理由を尋ねると、返ってくる答えは決まって「うちの親はまだ知らないから」。多くのティーンは、大人が自分たちの空間を「侵略」することを快く思いません。プライバシーを守るために、親や大人たちを避けて新しいサイトやアプリに移動するのです。
――若い人がSNSを使いすぎることより、大人が心配しすぎることが問題……ということでしょうか。
子どもを取り巻く問題について、何でもテクノロジーのせいにしすぎる風潮があります。望ましくない結果をすべてテクノロジーのせいにするほうが、ほかに関係しているかもしれない、社会的・文化的・個人的要素について考えるよりも簡単だからです。
注目される新しいテクノロジーが生まれると、それを憂慮する人が現れるのは歴史が証明しています。たとえばミシンが使われるようになると、女性が脚を上下させることで、何か性的な影響を及ぼすのではないかとおそれた人々がいました。ソニーのウォークマンは、人と人とのコミュニケーションを不可能にする邪悪な機械と見られたことがあります。
もっとさかのぼると、小説でさえ、女性のモラルを脅かすものと信じられていた時代がありますし、何とあのソクラテスですら、記憶と真実を伝える能力に及ぼす影響を心配して、アルファベット文字の危険について警告していたほどです。
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