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三人組を支えた男が明かす改革秘話 「お前は辞めるな」

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細谷英二(ほそや・えいじ)1945年生まれ。68年東京大学法学部卒業後、国鉄入社。民営化後のJR東日本で副社長。2003年りそなホールディングス会長。12年67歳で死去。

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国鉄入社後、これは大変だと感じたのは、1981年に経理局主計第一課の総括補佐だった頃。「後がない」はずの国鉄再建計画なのに初年度から計画が狂っている。このとき、「三人組」(松田昌士・元JR東日本会長、井手正敬・元JR西日本会長、葛西敬之・JR東海名誉会長)と一緒に、改革に踏み出さないといけないと決意した。私の役割は三人組の「事務局長」。彼らが話す内容をメモにしたり資料を作ったりしていた。

その年の11月に三人組と私とで、当時の三塚博・自民党政調会長の自宅を夜中に訪ね、国鉄の労使関係や財政問題を議論する場を作ってほしいと訴えた。三塚さんは引き受けてくれて、翌年に委員会が設置された。そして私は、日中は予算作成の仕事をこなし、朝と夜は三塚委員会の裏方として資料作りに没頭した。84年夏に三塚さんが国鉄に関する政策提言の本を出した。私もデータ収集や下書きを手伝った。世の中が一気に民営分割の流れになった。

ところが、国鉄内部で民営分割の動きを封じ込めようとする動きが出てきた。井手さんが左遷されたのを皮切りに、私も飛ばされた。それまで私は総裁室秘書課・課長補佐という同期トップのポストにいたが、次は同期がそれまで務めていた天王寺鉄道管理局総務部長というポジション。でも、辞表は出さなかった。三人組からこう言われていたから。「俺たちはクーデター的なものを起こして失敗するかもしれない。そのとき俺たちは辞表を書くが、お前だけは絶対辞めるな。お前が最後に芽を出して、国鉄を立て直せ」。

結局、天王寺からは4カ月で戻った。民営分割に向け就業規則作成からマークの選定まであらゆる作業をした。

JR発足後も苦労した。でも新しいビジネスに挑戦するという前向きの苦労。国鉄では組織も自分もどうなるかわからない状態での苦労。その意味で国鉄とJRでは戦争時と平時くらい差異があった。03年にりそなに公的資金が入ったときに牛尾治朗さん(ウシオ電機名誉会長)に呼ばれ、「お前しかいない」と言われた。断るつもりだったが、外堀を埋められ、最後は清水の舞台から飛び降りる覚悟で引き受けた。

銀行という組織を変えるのは難しい。現場の女性スタッフは接客を通じてモチベーションが向上したが、なぜか男性はそうならない。上から言われたことだけやればよいという仕事に慣れているせいかな。しがらみが多いのだろうか。もっと高い目標、夢を持って挑戦してほしいが、そういうタイプは少ない。心の改革はまだ道半ばだ。

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