震災復興を目的として実現したJR東日本・仙石東北ラインの開業日、そして仙石線全線開通日である2015年5月30日、仙台駅から開業式典が行われる野蒜(のびる)駅に向かう列車の奥に、冨田哲郎社長の姿があった。随行者と会話することなく、じっと車窓を見つめていた。
──あのとき、車窓を見て何を考えていたのですか。
野蒜駅は津波の被害を受けて使用不能になりました。そこで元の場所から約500メートル離れた内陸の山側に新しい線路と駅を造った。でも街はまだまだ。道半ばです。復興のためにやるべきことがたくさんある。そんなことを考えていたと思います。
──東日本大震災が起きたとき、ご自身は何をしていましたか。
当時は副社長でした。当社では役員は大部屋で仕事をするので、私のすぐ脇にいた清野智社長(当時)と、「これは大きいぞ」と顔を見合わせた。書棚が倒れそうになり押さえましたね。
すぐに本社内に対策本部を設置。さまざまな情報が錯綜していました。福島県の新地駅では列車に乗っていたお客様は避難しましたが、運転士と車掌ら乗務員3人は列車の様子を見るために戻ってきた。その途端に津波が来た。車両は流されたが乗務員は跨線橋(こせんきょう)の上に逃げた。足元まで水が来たそうです。野蒜駅でも乗務員はお客様を近くにある野蒜小学校の体育館に避難させました。そこにも津波が流れ込んできた。安否の確認が取れない乗務員が何人もいた。「みんなどこに行っちゃったんだろう」と、八方、手を尽くして情報を求めました。私も心配しながら2晩を過ごしました。
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