なぜゲーム機だけが“日本発”で成功したのか 日本は本当にプラットフォーム作りが苦手?
ポイントはやはり、「なぜゲーム機だけが成功したのか」ということだ。製造や他社との関係性など、そこには色々な教訓が含まれている。そこには「日本だけで終わらない」という関係構築が重要だったのではないか、というのが、筆者のひとつの結論である。
世界的な「分業体制」が基本
2005年頃のことだったろうか。筆者は、元マイクロソフトの古川享氏・元アスキーの西和彦氏の対談記事のモデレーターをやったことがある。バケモノ(失礼)2人のお相手をするのはとても大変だったのを憶えている。そのさなか、概要が発表されたばかりだったPS3の話になって、西氏が次のように切り出した。
「日本がプラットフォームを作ってはいるが、GPUは結局NVIDIAになり、CPUもIBMと共同製作。要は日本の敗北ですよ」
その場で議論するわけにはいかないので、その話題はそこまでに止めたが、筆者は非常に強い違和感を持った。そもそも、「日本の勝ち」とはなんだろう。
任天堂がファミコンを作った時も、CPUはリコーが開発したが、アーキテクチャはモステクノロジーの6502がベースだった。PS1も、CPU・GPU開発には米LSIロジックが主導的な役割を果たしている。「日本だけ」で出来上がったプラットフォームなど、ほとんどなかったのではないか。逆に、日本企業が作ったパーツがなければ、現在のスマートフォンも世には出てこない。世界的な分業体制が基本である。
ポイントは「ビジネス価値を含めた設計の基本を、誰がどう作っているか」だと感じる。「巨大産業を育てるためのグランドデザイン作り」といってもいい。そこではアメリカ企業が圧倒的に強いものの、日本企業にも目はある。
小手先でないグランドデザインまで含めた勝負を仕掛ける人々が、ゲームという舞台で戦っていたのが、20年前の「1994年」という年だったのだろう。
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