工作で誰もが使う「ヤマト糊」の圧倒的強さの秘密 家訓「一代一起業」が生んだイノベーション

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それまでの容器で売られていたヤマト糊は、品質には定評がある反面、「重い」「割れる」という欠点もあった。いかに軽くて持ち運びしやすい容器を考案するかというのは、2代目の時代からの課題だったのだ。

当時、新素材であったプラスチックは非常に高価だったが、ガラスや陶器の難点をクリアできるものだった。そこで大胆な決断を下したことで、ヤマトはプラスチック容器を採用した先駆けの企業となった。

その後、日本は高度経済成長期に突入。ここで澄雄は大きな海外進出を成功させる。1960(昭和35)年、アメリカの大手メーカー・スリーエム社の日本における文具関連の販売代理店となる業務提携契約を結んだのだ。同社の代名詞「スコッチテープ」を皮切りに、ヤマトはスリーエム製品の国内での展開を一手に引き受けることとなる。

実は2代目・武雄は40代で若くして亡くなっており、澄雄は大学2年生のころに事業を引き継いだという。それから学業と事業の両立をはじめ数々の苦労を重ねつつ、約50年間にもわたって社長を務めた。現在は会長になっている澄雄を、4代目・長谷川豊社長は「2人目の創業者みたいなもの」と表現する。

そして、その長谷川豊社長もまた、2000(平成12)年の代表取締役社長就任と共に新しい柱を立てた。法人需要が大半を占めていたヤマトに、これからのペーパーレス化や少子高齢化に対応するため、個人需要を呼び込むことを考えたのだ。

もとより接着・粘着分野には自信がある。そこで事務用品としてではなく、個人の趣味の世界で使ってもらえるよう、ステンドグラスのような貼って剝がせるシールが作れる「グラスデコ」などを世に送り出した。その分野は、ホビー・クラフトといったアート商材だ。

物と物をくっつけ、新しい付加価値を創造する

既述のように、ヤマトは「一代一起業」の精神で事業を拡大してきた。戦時中には難局をしのぐため一時的に食品事業に参入したことはあったが、ヤマトの企業理念は、昔も今も「1つの物を他の物とくっつけ新しい価値を創造する」だ。

現在のヤマトの事業は、非常に多岐にわたる。たとえばインダストリー事業部の事業内容を見ると、「自動車産業」「エレクトロニクス産業」「製紙産業」「原子力産業」と多様な分野が並んでいる。一見、「のりやテープのヤマト」のイメージとは結びつかないものばかりだが、具体的にどんなことをしているのか。

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