野村克也がシダックス時代に果たした強烈な凱旋 彼らを奮起し無様な過去に自ら落とし前をつけた

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オープン戦の登板予定を立案するのは全て投手コーチの仕事だったが、接戦になると、萩原は伸び盛りのサウスポー・武田勝にこう耳打ちした。

「投げるかもしれない。念のために肩を作っておいてくれ」

雲行きが怪しくなると、武田が緊急登板。魔球チェンジアップでピンチを脱することもしばしばあった。

「武田のチェンジアップは本当に不思議な球やな」

野村も思わず賛辞を口にした。こうして場数を踏んだことが、後に武田が「遅咲き」するうえでの要因にもなった。

正捕手の坂田は当時の勢いについて独特な見立てを語ってくれた。

「野村監督が来てくれたことで、記者さんもしょっちゅうグラウンドに来ていたでしょ。注目されると、気が抜けないんですよ。見られる中で緊張感を持って、練習に取り組んでいた部分もあったんで。その環境がチームを強くしていたというのもあったと思います」

その中心に野間口がいた。

コーチだった田中の見解である。

「やっぱり野間口の存在ですよ。ピッチャーの柱ができたというのは本当に大きかった。ピンチになればなるほど気合が高まっていくのがベンチからもわかるんです。そして抑えていく。勢いがありました」

古巣相手に見せた「強者の余裕」

5月22日のことだ。

野村シダックスは阪神2軍とのプロアマ交流戦のため、兵庫・鳴尾浜のタイガース・デンに乗り込んだ。

深夜に行われた、あの屈辱の退任会見から533日。鳴尾浜球場の内野席は収容500人にもかかわらず、約1500人ものファンが集った。球場周辺には違法駐車が続出し、試合中に甲子園署が見回りに来た。報道陣は130人が殺到。誰もが笑顔で野村の帰還を祝していた。

阪神2軍には愛息のカツノリもいた。親子対決を見届けようと、沙知代も球団関係者とともにネット裏へと陣取った。

野間口は7回を内野安打1本に封じる快投。攻撃面も犠打に盗塁、スクイズを絡めて先発全員の10安打。古巣を相手に5―0での完勝だった。

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「これだけのお客さんにびっくりしたのと同時に、感謝感激してます。2軍レベルじゃ、野間口は打てない。彼もプロ志望だし、通用しないと大変なショックでしょう」

アマチュア相手にだらしない古巣への毒ガスは、最後まで噴射されなかった。

強者の余裕が、そこにはあった。

大阪のスポーツ各紙に再び「ノムさん」の大きな見出しが躍った。

無様な過去に自ら落とし前をつけた。

社会人野球最高峰の戦い、都市対抗野球への初挑戦を前に、野村の心は最高潮にあった。

前回:「野村克也がシダックスに植え付けた揺るがぬ自信」(3月23日配信)

加藤 弘士 スポーツ報知デジタル編集デスク

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かとう ひろし / Hiroshi Kato

1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。
2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。

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