野村克也がシダックスに植え付けた揺るがぬ自信 本物の野球を学びナインの表情は変わっていった

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プロ野球の名将が社会人野球に渡り、選手たちをどう鼓舞していったのか?(写真:川窪隆一/アフロスポーツ)
2001年12月、妻が脱税容疑で東京地検に逮捕され、当時、阪神タイガースの監督だった故・野村克也氏は辞任を迫られた。その後にプロ野球へと返り咲いた野村氏自身は、どのように「再生」の道をたどったのか。
「ノムさん、僕は貴方のシダックス時代こそ伝えたい」(3月16日配信)に続いて、社会人野球シダックス監督時代の野村氏を取材した『スポーツ報知』の番記者・加藤弘士氏が、当時の関係者の証言を集め、野村氏がプロ野球界に復帰するまでを描いたノンフィクション『砂まみれの名将 野村克也の1140日』より、「第3章 寄せ集め集団『性根入れてやれよ。好きな野球じゃないか』」の前半部分を抜粋、一部再構成してお届けします。

どこかに甘えが

「お前たちは会社から金をもらって、野球をやっているんだろ。もらっている金額が高いとか安いとかじゃないんだ。性根入れてやれよ。みんな、好きな野球じゃないか。野球が好きで、ここまで頑張ってきたんだろ」

日本通運を相手に散発2安打で完封負けを食らった横浜スタジアムのベンチ裏。報道陣が消えた後、不甲斐ない試合に野村は感情を爆発させた。

「好きな野球を一生懸命にできないヤツなんて、何をやったってうまくできるわけないよ。本当に必死になって、野球に取り組まないとダメだ」

いつもの「ボヤキ」とは明らかに違う、心の奥底からの本音だった。

投手コーチの萩原康は、この時の野村の言葉がナインに響いたと証言する。

「本当に監督のおっしゃる通りだなと思いました。どこかに甘えの部分があったと思うんです。高校や大学で野球をやっていて、社会人の企業で野球をやれるのはほんの一握りです。極端に言えば『選ばれて野球をやっているんだ』という意識がどこかにあった。でも一生懸命、必死にやらないとダメだなと、みんなあの日、気づいた。ガツンとやられましたね」

厳しいプロの世界で生存競争を勝ち残ってきた野村は、社会人野球の選手たちに漂っていた「甘さ」を看破した。負けても世間的な批判を浴びるわけではない。現役を引退したら社業に取り組めばいい―。

18歳の春にテスト生で南海に入団後、「生きるか死ぬか」の厳しさに身を置いた男からすれば、社会人の監督に就任以降、勝利への執念がどこか緩く見えていたのだろう。

野村の経験から絞り出された言葉の数々は、男たちの血液を沸騰させた。

表情が引き締まり、目の色が変わった。

「ID野球」を標榜して日本シリーズを3度制覇した野村は、シダックス監督就任前、ナインにとって雲の上の人だった。

だが就任後、知将は意外にも上から目線で助言を行うことはしなかった。自らの目線を下げたうえで、ナインのプレーや性格を観察し、言葉のキャッチボールを繰り返した。コーチ陣の話にも積極的に耳を傾けた。

シダックスを強くしたい。その思いが本気だったからだ。本気だからこそ、選手たちの心をつかみ、闘志を刺激した。

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