ノムさん、僕は貴方のシダックス時代こそ伝えたい 悪夢の辞任から、指揮官として「再生」した過去

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野村克也氏は社会人野球シダックス監督時代、自分が置かれた状況を誰よりも楽しみ、アマチュアの選手に対しても偉ぶることなく、自身の軸をブラさずに過ごした(写真:川窪隆一/アフロスポーツ)
2001年12月5日、妻が脱税容疑で東京地検に逮捕。当時、阪神タイガースの監督だった故・野村克也氏は同日、辞任を発表した。誰もが「ノムさんは終わりだ」と思った。その野村氏が後にプロ野球へと返り咲いたことは多くの人が知るところだ。ところが、その野村氏自身が「再生」の道をたどった物語は意外と知られていない。
空白の3年間――。社会人野球シダックス監督時代の野村氏を取材した『スポーツ報知』の番記者・加藤弘士氏が、当時の関係者の証言を集め、野村氏がプロ野球界に復帰するまでを描いたノンフィクション『砂まみれの名将 野村克也の1140日』より、「プロローグ」を抜粋、一部再構成してお届けします。

2002年11月から3年間務めたシダックス監督

「いい思い出を作らせてもらって、本当にいい野球人生でした」

車椅子の野村克也がマイクを片手にそうつぶやくと、かつての教え子たちから大きな拍手が起きた。

東京が新型コロナウイルスの猛威に襲われる直前の2020年1月25日。神宮球場を眼下に見渡す日本青年館ホテル。9階にある宴会場は、野球人たちのにぎやかな声で満たされていた。

シダックス野球部OB会。

84歳になった野村もその中にいた。

野村が社会人チームの監督を務めたのは2002年11月からの3年間だ。中央の円卓では、野村を監督に抜擢した同社の創業者で現取締役最高顧問の志太勤、教え子の日本ハム投手コーチ・武田勝や元巨人投手・野間口貴彦らが思い出話に花を咲かせていた。

会の序盤に行われた冒頭のスピーチ。取材に訪れていた私は野村の老いが想像以上に進んでいることに驚いていた。発する言葉に、あまりにも覇気がなかったからだ。報道陣の間でも「沙知代さんが亡くなってから、ノムさんは元気がなくなった」との声がよく聞かれるようになった。妻に先立たれた84歳の姿としては不思議ではないだろうと、私は自らを納得させていた。

だが会がお開きになった後、報道陣の囲み取材が始まると、その表情は一変した。言葉に精気が宿り、口調も快活になった。シダックス時代の教え子が監督やコーチとして、少年野球に高校、大学、社会人、さらにはプロと様々なジャンルで後進の指導に当たっていることについて、こう喜びを語った。

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