ノムさん、僕は貴方のシダックス時代こそ伝えたい 悪夢の辞任から、指揮官として「再生」した過去
2002年11月から3年間務めたシダックス監督
「いい思い出を作らせてもらって、本当にいい野球人生でした」
車椅子の野村克也がマイクを片手にそうつぶやくと、かつての教え子たちから大きな拍手が起きた。
東京が新型コロナウイルスの猛威に襲われる直前の2020年1月25日。神宮球場を眼下に見渡す日本青年館ホテル。9階にある宴会場は、野球人たちのにぎやかな声で満たされていた。
シダックス野球部OB会。
84歳になった野村もその中にいた。
野村が社会人チームの監督を務めたのは2002年11月からの3年間だ。中央の円卓では、野村を監督に抜擢した同社の創業者で現取締役最高顧問の志太勤、教え子の日本ハム投手コーチ・武田勝や元巨人投手・野間口貴彦らが思い出話に花を咲かせていた。
会の序盤に行われた冒頭のスピーチ。取材に訪れていた私は野村の老いが想像以上に進んでいることに驚いていた。発する言葉に、あまりにも覇気がなかったからだ。報道陣の間でも「沙知代さんが亡くなってから、ノムさんは元気がなくなった」との声がよく聞かれるようになった。妻に先立たれた84歳の姿としては不思議ではないだろうと、私は自らを納得させていた。
だが会がお開きになった後、報道陣の囲み取材が始まると、その表情は一変した。言葉に精気が宿り、口調も快活になった。シダックス時代の教え子が監督やコーチとして、少年野球に高校、大学、社会人、さらにはプロと様々なジャンルで後進の指導に当たっていることについて、こう喜びを語った。
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