野村克也がシダックス時代に果たした強烈な凱旋 彼らを奮起し無様な過去に自ら落とし前をつけた

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オープン戦については社によって対応が分かれた。ID野球の権化に対して「データを全部取られてしまう」と対戦を拒むチームもあった。試合は行うが、主力級を一切出さない社もあった。勝負の世界。各社とも生き残りに必死だった。NTT東日本は長井の人柄もあってか、お構いなしに試合を組んだ。

「普通、お互い手の内を見せたくないから、あんまり同じ地区ではやらないんですけどね(笑)。試合前のランチでは、気を遣って近所の寿司屋にお連れしたんです。そしたら『いま選手たちは何を食べてるの?』と聞かれて。『ハヤシライスとヒヤムギです。ハヤシライスはウチの寮の名物なんですよ』と話したら、『次はそれでいいよ』と言って下さって」

次のオープン戦の際には寮でハヤシライスとヒヤムギを用意すると、一瞬でぺろりと平らげてしまった。

「『美味いな。今後はずっとこれでいいよ』と。住み込みで寮の食事を担当している方も喜んでいましたね」

年を重ねても落ちない食欲こそ野村の元気の源だった。

一連のスキャンダル後、テレビ出演やCM、講演などの仕事も全てなくなった野村だが、現役監督に返り咲いた効果は大きく、オファーが再び舞い込むようになった。

3月の東京都企業春季大会での出来事だ。長井は野村シダックスとの戦いに意気込み、大田スタジアムへ向かった。相手ベンチへあいさつに出向くと、野村の姿がない。

「野村さん、どうしたんですか?」

シダックス関係者が息を潜めて言った。

「きょう、『笑っていいとも!』に出演するんですよ……」

仕事を受けた沙知代のうっかりミスだった。野村が表舞台に帰ってきた証しと見れば、悪くない話でもあるのだが。

この頃になると、沙知代が球場を訪れ、シダックスの試合を観戦することも多くなった。

長井が振り返る。

「沙知代さんはああ見えて家庭的で。本部席で僕たちが弁当を食べていると、『野菜摂らなきゃダメよ』と煮物を作って持ってきてくれたりしたんですよ」

心ある野球人の温かさに触れ、野村の表情に再び生気が宿ってきた。

快進撃の理由

2003年5月5日、岐阜・長良川球場で行われたベーブルース杯。全国7地区から選出された24の社会人強豪チームが参加して争われる、トーナメントの公式戦だ。

野村シダックスは決勝で東海REXを5―0で下し、破竹の勢いで初出場初優勝を成し遂げた。

「みんな、ありがとう!」

野村がナインに向かってお辞儀をした。私は目を疑った。日頃から「野村と書いてボヤキと読む」と自ら公言している人である。まさか深々と選手たちに頭を下げるとは。

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