仮に、戦闘が限界を超えて長引けば、プーチン大統領の大義は徐々に効力を失い、国民生活を苦境に陥れてもこの戦いを続ける必要があるのかという疑問が強まっていく。第1次世界大戦の末期、長期化する戦争で困窮した国民の間で専制打倒のデモとストライキが拡大して、ロシア皇帝ニコライ2世は退位に追い込まれたのである。
大国政治の「犠牲」になったウクライナ
だから、近いうちにプーチン大統領は大攻勢に出る可能性がある。キエフを陥落させ、何としても、ウクライナ非武装中立化を実現しようとするだろう。そのためには、以下のいずれかが必要だ。
① ゼレンスキー政権が倒れ、親露政権が樹立される。
② ゼレンスキー政権が屈服し、ロシアの要求を(ある程度は)受け入れる。
だが、このいずれのシナリオも米英は受け入れることができない。これまでテコ入れしてきたウクライナを完全に失うという外交上の大失点となるからだ。だから、キエフが陥落する場合には、ゼレンスキー大統領を亡命させようとするだろう。ウクライナがロシアの影響下に置かれることになったとしても、ゼレンスキーによる亡命政権が存在する限りは、ウクライナに何らかの足掛かりを残せるからである。
そのような状況がウクライナ国民にとって望ましい事態なのかは全く別の話だ。ウクライナ社会は分断され、不安定な状態に宙づりにされることになるだろうからである。大国政治の狭間に立たされた不幸と言うほかない。
こうした不幸を生み出した安全保障環境と国際政治の在り方には日本としても強い疑問を突き付けるべきである。国防を議論するのも結構だが、もはや完全な機能不全に陥っている国連安保理の改革は、待ったなしの課題である。
今こそ、日本政府が取り組んできた国連改革を推し進め、五大国の拒否権の問題、常任理事国の拡大(日本を含む)、こういった課題を改めて提起すべきタイミングではないだろうか。
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