──一緒だった8歳までで特に印象に残っていることは。
子供好きなリタは「コータロー!コータロー!」と初孫の私をかわいがってくれた。上背が167~168センチメートルで細身。自分の部屋から出るときは自宅でも基本的に正装していて、化粧しアクセサリーを着けていた。だらしない格好はいっさいしない。そういう習慣を守った。家族で母だけは祖母は姑だからと見習い、いつもきちんとしていた。母についても洋服姿しか見たことはない。
来日した当初は浴衣や着物を着たことがあったようだ。これは想像だが、最初は日本人になり切ろうとしてそういう服装をしたのではないか。でも目が緑色で髪の毛が茶色だったから、逆に目立つだけ。どこかで割り切ったのではないかと思う。着物姿の写真は残っていない。
祖母にもダンディズムを感じた
──洋服の色にも一家言あったのですね。
外国人は目の色に合わせた服を着ると言っていたという。日本人は黒髪で黒目だから、だいたいそれで洋服の色は決まる。外国人は目の色がいろいろだから、それに合わせて好きな色を持っている。祖母の目は緑色だったから、わりと緑系を着る。その目の色も天気が悪くなると猫の目のようにグレーになる。となると、目の色に合わせるように洋服の色をグレー系に変えていたと母が言っていた。
──自分のスタイルを持つのは一つの品格といえます。
この本のタイトルにダンディズムという言葉を加えた。祖父はもちろん、祖母の生き方にもダンディズムを感じるからだ。女性に対してはおかしいかもしれないが、男女とも心の底辺は同じであり、ダンディズムはともにあると思っている。英国人と日本人ではあるが、騎士道と武士道精神のつながり、気骨のようなものがどこかにあった。当時としては明治の女と明治の男だから、今の個人主義の時代と違って、国を守る、家族を守るという意識が強かったのではないか。結婚して40年以上添い遂げる。その裏にあった共通の心のつながり、それをダンディズムという言葉に軽く置き換えている。
──祖父も本物志向でした。
会社の人は怖かったかもしれないが、孫にはそういう記憶はない。60歳を過ぎて生まれた孫で、15歳まで一緒に住み、会社も安定していた時期だったから本人にも余裕がある。味覚や臭覚には天才的なものはない。すべて経験の積み重ねだと語ったりして、食べ物やものの考え方をぽつりぽつりと話してくれる楽しいおじいちゃんという感じだった。
──創業3代目です。
祖父も、父にしても会社を継げとは1回も私に言わなかった。放任だったといっていい。私が大学を出たとき、当時の社長に勧められてニッカウヰスキーに入社したが、私自身に継がなければという意識はなく、ほぼ20年在籍した後、わが道を探すということで個人の会社を作り転身した。
ただ、たとえば家で食べている物が普通の日本人とはずいぶん違うことが、結婚してからわかった。家でローストビーフを普通に食べている家庭はなかなかない。朝食はスクランブルエッグかハムエッグ、自家製のジャムにトースト、飲み物はミルクティーだと言ったら、英国人に一緒だと言われたことがある。スコットランド仕込みは気がつかないところにあるのかもしれない。
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