「世界一」の可能性は30%、いいなら実行[上] 柳井正・ファーストリテイリング会長兼社長に聞く

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「でかい本部を作りすぎた。カネのかけすぎ。第2に、彼の年齢では現地経営者を使い切れなかった。僕だったら、全部クビ。ローコストにして、すべてに自分がかかわっていく。そうしないといけなかった」。

“勝ち”に行った「ヒートテック」

最大の清算は、05年のチーム経営の解体だった。そこから、柳井は反転する。“勝ち”に行った典型が、東レと共同開発した、保温力抜群の機能性肌着「ヒートテック」だ。

ヒートテックの初年度(03年)は百数十万点。当初から評判はよかったが、よちよち歩きの出発だった。ところが、柳井が社長に復帰した05年は450万点に拡大。次の年は3倍の1200万点、その2年後にまた倍増。フリースの記録(2600万点)をあっさり塗り替え、09年には5000万点を売り切った。

やってダメなら、反省し、すぐ撤退。いけるとなったら、とことん畳みかける。柳井の戦法である。自ら「10年間で最大のイベント」と振り返るニューヨーク(NY)・ソーホー店も、この戦法だった。

実は、ユニクロはNYでも失敗している。最初は、NY郊外のショッピングセンターに3店出した。さっぱり売れない。当時、米国本社はソーホー地区にあった。本社近くの倉庫を借り、在庫の処分セールを打ったら、これが売れた。

あ、僕が出るのはここだ。「でかい店を作ったら、ものすごく売れるかもしれないな」。表がスポーツ店、裏が配送センターという1000坪の物件があった。見た瞬間、決めた。契約が2月、開店が11月である。(下に続く)

(撮影:今井康一 =週刊東洋経済2010年10月9日号)

※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

 

梅沢 正邦 経済ジャーナリスト

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うめざわ まさくに / Masakuni Umezawa

1949年生まれ。1971年東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社に入社し、編集局記者として流通業、プラント・造船・航空機、通信・エレクトロニクス、商社などを担当。『金融ビジネス』編集長、『週刊東洋経済』副編集長を経て、2001年論説委員長。2009年退社し現在に至る。著書に『カリスマたちは上機嫌――日本を変える13人の起業家』(東洋経済新報社、2001年)、『失敗するから人生だ。』(東洋経済新報社、2013年)。

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