加藤:それに、本は安いですからね。
角田:高くても2000円しないよね……と言いながら『仕事人生あんちょこ辞典』の価格は2700円+税だけど。でも2冊分以上の分量があるからね。
加藤:本が本として出版されているということは、出す価値があると著者も編集者も版元も思ったわけですけれど、それとは別に「自分との相性」ってやっぱりあるじゃない。その意味でずっと相性の悪い本もあれば、いつかタイミングが訪れる本もあるよね。
角田:それで言うと、僕はガルシア=マルケスの『百年の孤独』に何回もチャレンジして、いつも読めななかったんですよ。20歳ぐらいで初めて手に取って、それから5年ごとぐらいにチャレンジしてたんだけど、いつも結局最後まで読めなかった。
でも40歳ぐらいになってから読んだら、これが面白くて、あっさり読めちゃったんです。こんなふうに、読めなかったところから何度も繰り返して、読めるに至るまでの期間が「読書」だとしたら、それは読書体験として一番面白いんじゃないかな。
加藤:なるほどねぇ。
角田:歳を取ってからようやく読める本なんて死ぬほどある。もうひとつ例を挙げると、ハタチぐらいの時に予備校の古文の先生が「鷗外は『渋江抽斎』が一番面白かった」って言ってたから、「そんなに面白いのか?」と思って読んでみたんだけど、これが当時は全然読めないわけだよね。
というのも、『渋江抽斎』ってただの日記で、「この時に何を食べて、誰と出会って」というのが延々と繰り返されてるだけなんです。それをその予備校の先生は「一番面白い」と言ってて、当時は意味がわからなかった。
ところが、これも数年前に読み返したら最高に面白かったんだ。
加藤:お、そうなんだ。
角田:「森鷗外、天才だな」と思ったけれど、それはやっぱりハタチじゃわからないんだよ。森鷗外が『渋江抽斎』を書いたのは50代の頃だから、やっぱり50になるとわかることがあるんだと思う。「そういうことがある」という体験まで含めて「読書」なんだと思う。だから、読めない本があったら積ん読にして、本棚に置いておくといいんじゃないかな。
加藤:最近は新刊点数が多いぶん、絶版になる本も多いですが、それでも図書館や古書も含めて、昔の本に出会いやすい環境になっていることも事実ですから、逆に一回手放してしまってもいいと思っています。