「にほん昔話」から幸せの秘訣を見いだせる理由 人間の弱さや嫌な部分をあるがままに肯定する
いつも洗濯している川の向こうから、大きな桃が流れてくるかもしれない。亀を助けたら竜宮城へ連れて行ってもらえるかもしれない。そんなふうに、日常的な風景にいろんな夢を埋め込んだ装置としての役割も、かつての昔話は果たしていたのだと考えられます。
日本の昔話は西洋のものとどう違う?
もうひとつ、日本の昔話や落語の人気噺を見て特徴的だと思うのが、「金持ちになりました、めでたしめでたし」で終わる話が西洋に比べると少ないことです。あるにはあるのですが、それよりはほのぼのした不思議な話のほうが日本では圧倒的に多い。これは、日本人はずっと昔から金持ちになることと、ウェルビーイングな人生を送ることは、別問題だと理解していたからだと考えます。
「ごはん、お風呂、布団」はお金で買えても、その先にある生きがいのようなものまでは買えません。そして日本の昔話のメインキャラともいうべき老人たちにとって、老い先短い人生で大金を手にしてもあまり意味がない。むしろ、何かを楽しみに待つ時間が奪われてしまうことだってあるでしょう。
年収がある水準を超えると、収入と幸福感は相関しなくなる、という研究結果が出ていることからもそれは明らかです。お金は生活に安定をもたらしますが、絶対の幸福までは約束してくれません。
だからこそ、いつの時代も人は無意識のうちに「何かを楽しみに待つ」時間を欲してきたのではないでしょうか。旅行前日の準備の時間が一番ワクワクするように、何かを楽しみに待つことは、それ自体がウェルビーイングな状態なのです。
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