「にほん昔話」から幸せの秘訣を見いだせる理由 人間の弱さや嫌な部分をあるがままに肯定する

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よくよく考えると、年老いたおじいさんとおばあさんが出てくる時点で、そこから成長したり上昇したりする展開って難しいですよね?(吉田氏)

成長も変化もしないということは、弱さや嫌な部分をあるがままに肯定するということでもあります。

例えば、『火男』という話。火男は「ひょっとこ」の語源で、あのお面がどうやってできたのかという昔話なのですが、これがもう天才的に面白い。「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました」というお決まりの冒頭から始まるのですが、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、まぁ……あまり行きませんでした」と意表を突いてくる。そこから欲深なおばあさんと善良なおじいさん、火男のあれこれが展開するのですが、結末を言ってしまうと欲深なおばあさんは、欲深なまま死んでいきます。変化も成長もしない人物像の典型例のような昔話です。

ちなみに、『火男』の演出を手掛けた杉井ギサブロー監督は「放送事故では?」と不安になるほど間をたっぷり取り、強い喜怒哀楽ではなく弱い感情をほろっと描く達人で、『まんが日本昔ばなし』の中では私が最も好きな監督です。

ものごとを肯定する『日本昔ばなし』

大酒飲みの男が主人公の『酒が足らんさけ』という話も、ウェルビーイングな人生とは何かを考えさせられた一作です。

日中は山で一生懸命に働くが、日が暮れると町に出て酒を浴びるほど飲まずにはいられない。そんな男が酒で死にかける目に遭いながらも、なんだかんだでまた「おれはやっぱり毎日一升酒を飲むんじゃ!」と決意して、再び大酒飲みに戻るが結局長生きした、というお話です。

『火男』も『酒が足らんさけ』も、他人に変化を期待しない、良い悪いで相手をジャッジしない市井の人々の姿が描かれている点が共通しています。

欲深でも酒飲みでも貧乏でもものぐさでも、その人のまるごとを肯定する。そして結局最後には、また始まりと同じ場所へと戻る。日本の昔話の王道ともいえるこのパターンをひもといていくと、つねにゼロ地点へ戻りたがる日本人の民族性が見いだせる気がします。

私たちはマイナスからゼロ、ゼロからプラスへ、という上昇志向を刷り込まれながら成長し、大人になっていきます。ゼロはプラスへ向かうまでの通過点であって、プラスを積み重ねていくことにこそ人生の価値がある。無意識のうちにこんなふうに考えている人は多いでしょう。

けれども、『まんが日本昔ばなし』を見ると、日本人はいつの間にかゼロの価値を過小評価するようになったのでは、と考えてしまいます。ゼロは通過点ではなく、ゼロこそがひとつのゴールと捉えることもできるはずなのに。

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