なぜ今?「暗号技術」50年ぶり改訂のなるほどな訳 次世代標準が今年決定、日本企業も対応必須

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まず耐量子暗号とは「量子コンピューターによる攻撃に耐える力を持った暗号技術」のことだ。この暗号技術自体は、量子力学に基づく「量子技術」を使う必要はない。先述の「格子問題」や「符号問題」など、主に高度な数学を使った暗号がこれに該当する。

これに対し量子暗号とは、それ自体が量子技術に依存する暗号技術である。この暗号はまた、量子コンピューターによる攻撃にも十分耐える力を持っている。つまり量子暗号は(NISTが標準化を進める「耐量子暗号」ではないが)語義的には耐量子暗号の一種でもある。

詳細な説明は省くが、量子暗号とは量子技術に基づく「量子鍵配送」と「ワンタイムパッド(使い捨てパッド)」と呼ばれる強力な暗号化アルゴリズムを組み合わせた方式だ。これにより、理論的にはどんな手段でも(つまり量子コンピューターでも)絶対に破ることのできない究極の暗号が実現されるという。

この量子暗号では、後述する中国と並んで、東芝やNECなど日本メーカーも高度な技術を有している。両社は2022年1月、野村ホールディングス、野村証券、情報通信機構(NICT)と共同で、量子暗号通信の実証実験を行った。実際の株式取引に採用されているフォーマットに準拠したデータを量子暗号で送信し、この技術が金融分野に適応できることを検証した。

中でも東芝はすでに2020年10月、量子鍵配送システムを製品として発表。大規模なゲノム(遺伝情報)解析データや金融情報など、高い秘匿性が要求される分野に向けてマーケティングを図っている。

アメリカ政府が量子暗号を採用しないワケ

しかし、アメリカ政府はこの量子暗号を次世代標準として採用するつもりはない。そこには政治的な要因が影響しているかもしれない。

2016年、中国科学技術大学の研究チームは世界初の量子通信衛星「墨子号」を打ち上げた。2021年1月には、この衛星と地上をつなぐ4600キロメートルの通信ネットワークを築き、この上でハッキングや盗聴を不可能にする量子暗号通信を世界で初めて成功させた。

アメリカのNISTが量子暗号を次世代規格に採用しなかったのは、中国がこの分野をリードしているためと見る向きもある。他方、量子暗号がいまだ技術的に成熟していないため、システムとしての安定性が欠如していることのほうが理由としては大きい、との見方もある。

いずれにせよ将来はおそらく、これら2つの方式の間で用途に応じた使い分けが生じると見られている。

NISTが規格化する耐量子暗号は、ネット・ショッピングや各種ICカードなど一般社会での日常的な用途に使われ、量子暗号は軍事・諜報など安全保障の分野、さらには超先端的なゲノム医療など、より秘匿性の高い特殊な用途に使われるだろう。

小林 雅一 KDDI総合研究所リサーチフェロー

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こばやし まさかず / Masakazu Kobayashi

1963年、群馬県生まれ。作家・ジャーナリスト、KDDI総合研究所リサーチフェロー、情報セキュリティ大学院大学客員准教授。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院理学系研究科を修了後、東芝、日経BPなどを経てボストン大学に留学、マスコミ論を専攻。帰国後、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所などを経て、現職。近著に「生成AI」(ダイヤモンド社)、「AIと共に働く」(ワニブックスPLUS新書)。

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