「成功=幸福と考える人」が知らない本当の幸福 幸福と幸福感は違うものだという事実

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たとえば、病気になって身体の自由が利かなくなることがあります。病気で身体が自由に動かせなくなった時でも、自分がなお人の役に立てていると感じられるかが問題です。そう感じられるには、何かをしないと役に立てないという考え方から離れなければなりません。

病気になると仕事を失うかもしれない。ちゃんとした企業に勤めていたら、休んでも保障されますし、復帰もできるでしょうが、派遣だったら、たちまち切られるでしょう? 私自身が病気で倒れた時は、非常勤講師をしていましたが、翌週こられないからとすぐに解雇されました。それが現実です。

だからといって、自分の価値がなくなるわけではありませんし、人の役に立てないわけではありません。そんなことをいえば、まだ働けない子どもには、価値がないことになってしまいます。

生きているだけで貢献している

――病気になった時、「自分が生きていること」で他者に貢献できるというのを実感できたことは、病気になってよかったと思ったことの1つです。よかったというのは言い過ぎですが。

最初は落ち込みましたが、私が生きていることを喜んでくれる人がいると知りました。私が生き延びられたことを、少なくとも家族は喜んでくれた。友だちも喜んでくれたはずです。

B:私だったら何もできない自分に落ち込んで、とてもそんなふうには思えないと思います。どうしたら自分に対して、そんなふうに思えるのですか?

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――逆の立場で考えたらわかります。もしも家族や親しい友人が病気で倒れた時、とにもかくにも生きていれば嬉しいと思うのなら、同じように、自分が生きていることがそのまま他者にとって喜びで、生きているだけで他者に貢献できていると思えませんか?

たとえ何もできなかったとしても、自分が生きていること、それ自体が他者にとっても喜びである。その意味で、生きているだけで他者に貢献できている、役に立てている、そう思える時に「自分は幸福である」と思えます。

今すぐにそう思えなくても、そう思えるようになってほしいと、特にあなたたち若い人にはいいたいです。ですから、この講義の最終目標は、「自分が何もできなくても、ただ生きているだけで自分には価値があると思えること」「今ここに存在しているだけで幸福であると感じられるようになること」です。

岸見 一郎 哲学者(監修)
きしみ いちろう / Ichiro Kishimi

1956年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『幸福の哲学』(講談社)、『今ここを生きる勇気』(NHK出版)、『ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解』(日経BP)など多数。

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