「コーダあいのうた」がこだわった障害者の描き方 監督が語るデフカルチャーを題材にした理由
――本作の主人公ルビーは耳の聴こえない両親をケアしながらも彼らの大きな愛に育まれて育っていますが、日本では貧困や家族の中の年長者の介護等の事情があって、子どもが両親や祖父母の面倒をみる「ヤングケアラー」という存在も話題になっています。
アメリカでは1990年に障害を持つアメリカ人法という法律が制定され、例えば医師にかかったりする時に聴覚障害者であれば必ず、手話通訳者が立ち会うという法律があります。
しかし、都市部ではこうした制度が充実していますが、今回登場するロッシ家のように小さな町に住んでいる人たちにとってはまだ不十分であるという現状があると思います。子どもが手話通訳の役割を果たしている場合もあります。
そうしたアクセシビリティーの問題は障害のある人たちに限りません。移民の子にも共通している問題でもあります。
試写会後に韓国人男性が、「この物語は自分の物語であると感じた」と泣きながら話してくださいました。両親が英語を話せなかったので、自分が両親と社会との架け橋になっていたと。そして家族の下を離れた時に、自分が家族を離れたら、生き伸びていけるのかと心配になり、とても罪悪感が残ったと言っていました。ケアしなければならない家族を持つ子は、障害の家族を持つ子も移民の子も同じなんです。
大切なことはそうした重荷を子どもたちに課さないように、社会の側が制度を充実させることなのではないでしょうか。
自分の物語として受け取ってほしい
――お客さんの反応はどのようなものでしたか。
みな泣いています。そんなに泣かせるつもりはなかったのですが……。この物語は、障害のみに焦点が当てられているわけではなく、お互いを思いやる家族へのシンプルなストーリーです。家族へのラブレターと言っても過言ではありません。
今まではコロナ禍で上映され、(接触を避けるために)家族が離れ離れになる人もいたので、より感覚がビビッドになっていたのかもしれません。しばらくお父さんと会っていなかったけれども、この作品を見て会いたくなったと言った人もいました。私自身、映画を見た人たちが個人的な話をしてくださることに心を打たれています。自分の作った作品を自分の物語として語っていただけるのは本当に幸運なことです。
愛や家族など自分を自分たらしめているものは何か、ということについて考えることのできる映画なので、まずはリラックスして見ていただきたい。そしてデフカルチャーについて知っていただけたらうれしいです。そして、彼らはたまたま自分とは異なる手話という言語を持つ人たちで、自分たちと変わらない、普通の家族を持つ人なのだと感じてもらえたらいいですね。
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