貨物駅跡には富士ソフトビル、青果市場跡には秋葉原UDXなどが建設され、高層ビルが林立するようになった。
【2022年2月4日14時10分 追記】記事初出時、建物名に誤りがあったため上記のように修正しました。
2005年にオープンした「ヨドバシAkiba」のように“伝統”を受け継いだビルもあったが、昭和の頃の秋葉原のイメージでいると、今は激変してしまったように目に映るだろう。
冗談ではあるが、2006年に秋葉原UDXがオープンした時、インターネット上では「秋葉原の風景と合っていない」「景観破壊だ」などと揶揄されたものだ。それだけ秋葉原とは、大小の商店が密集し派手な看板を無数に出した、にぎやかな街との認識が強かったわけである。
火除けの神様がルーツ
「あきはばら」か「あきばはら」か読み方が話題にもなる秋葉原だが、駅名や地域名は前者。略称は「アキバ」で定着している。
元は1870年の大火の後、江戸城内から現在の秋葉原駅の敷地内に勧請された鎮火社が、火災除けの秋葉(あきは)権現と勘違いされ、延焼防止のために設けられた空き地が秋葉ノ原などと呼ばれたことがルーツ。駅名に採られ、地名として定着した。鎮火社は鉄道建設の際、現在の台東区松が谷3丁目に移され、後には正式に秋葉神社と改名した。
私も含む50代以上の多くは、秋葉原は「家電製品の街」と思っているだろう。神田駅の記事で述べたが、戦後、神田須田町に集まってきた電気部品を販売する露店商が、闇市を一掃するGHQの方針により、神田川を渡った対岸の秋葉原の高架下に代替地を求めて移ったのが電気街のルーツである。年配の人にとっての秋葉原は、トランジスタなど「電気部品の街」だったに違いない。その名残は、総武線脇の秋葉原電波会館などに根強く残っている。
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