大手町から北へ歩き日本橋川を渡ると、ドラマティックに町の様子が変わる。大手町は江戸時代には大名屋敷が並んでおり、明治以後は広大な敷地はほぼそのままに、ビジネス街、高層ビル群に生まれ変わった。
これに対し庶民の町として生まれた神田は、細かい町割りもそのままに、中小のビルや飲食店が密集している。東京駅の一段高いホームから出発する中央快速線の電車が日本橋川の上を通る首都高速都心環状線をくぐると、車窓から見える建物の規模が一気に小さくなり、すぐに飲み屋街の風景となる。
庶民の町の歴史を物語る
神田駅を中心とした西口商店街、神田駅東口一番街、神田駅前商店街などは、山手線の東側では新橋駅と並ぶ「サラリーマンの聖地」だ。細い路地が多く安価な飲食店が集まり、かえって安らぎを覚える向きも多かろう。丸の内や大手町などとは明らかに違う。ランチの値段が、川をひとつ渡るだけで数百円は違いそうだ。
路線名に反して、山手線ではいちばん東京の下町らしさを感じる駅と言ってもいい。何せ、神田生まれの神田っ子こそ、江戸っ子の中の江戸っ子とされるほど。ただ、その町を分断するように敷かれているのがJRの線路だ。山手線、京浜東北線、中央快速線が乗り入れている他、東北新幹線の線路が脇を通り、その上を複層高架で上野東京ラインが通過してゆく。
神田駅は1919年に現在の中央快速線が万世橋駅から延伸されて、東京駅へ乗り入れた時に途中駅として開業した。さらに関東大震災後の1925年11月1日に神田―秋葉原―上野間がつながり、山手線の環状運転が始まった。
山手の台地を切り開いて1885年にはすでに開業していた品川―新宿―赤羽間と違って、神田付近が古くからの住宅密集地で鉄道を通すことが難しかった事情を物語っている。旧中山道にルーツを持つ中央通りの下には、銀座線神田駅も1931年に開業。乗り換え駅となった。
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