東京駅丸の内口「日本の中枢」に足りないのは何か 華やかな「赤レンガ駅舎側」寂しく感じる部分も

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赤レンガの駅舎がシンボルの東京駅丸の内口(筆者撮影)

皇居と東京駅にはさまれ、超一流企業の本社が集中し、北側に続く大手町とも一体となって「日本の中枢」と呼べるエリアである。南側は有楽町ともひとつながりの街となっている。東京駅丸の内口の赤レンガ駅舎は、2012年に開業当時の姿への復原が完成。シンボルとしての風格がよりいっそう高まった。

今も昔もビジネスの中心

丸の内ほど、ここ近年のイメージが変わった東京の街も珍しいのではあるまいか。元は大名屋敷が建ち並んでいたエリアが、明治の半ばに三菱へ払い下げられ、1894年完成の三菱一号館に始まる赤レンガのオフィスビル街が形成されて、ビジネスエリアとなった。1914年に東京駅が開業。交通の中心地ともなって、その地位は確固たるものになる。

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戦後、高度経済成長期にはこれが高層ビル群に建て替えられたが、都市としての機能は変わらなかった。丸の内ビルディング(丸ビル)、新丸の内ビルディングと、行幸通りを挟み、東京駅正面の左右に建つ2棟が、その中核であった。

「ウルトラセブン」など1960〜70年代のテレビSF番組を見ると、しばしば近未来的な街として丸の内のオフィスビル街が出てくる。風景はともかく、休日ともなると人影がまったく途絶えてしまっていたから、そのようなロケも可能だったのだ。

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