東京駅丸の内口「日本の中枢」に足りないのは何か 華やかな「赤レンガ駅舎側」寂しく感じる部分も

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それが、大きく変化したのは、2000年代に入ってから。1991年に都庁が新宿へ移転し、跡地に東京国際フォーラムが1997年に開館。東京の新しい文化の中心地となったのを皮切りに、2002年に丸ビル、2007年には新丸ビルの建て替えも完成し、多くの商業施設が入った。

さらに旧国鉄本社跡などを再開発した丸の内オアゾ、東京中央郵便局跡地に建設されたJPタワー(KITTE丸の内が入居)などが続いた。これらの高層ビルの建設には、東京駅丸の内駅舎の容積率移転も後押しとなっている。

赤レンガ駅舎は2012年に開業当時の姿へ復原された(筆者撮影)

丸ビルリニューアルオープンの時のキャッチフレーズが象徴的だった。「日曜日なのに、東京駅に降りていた」。つまり、平日にしか来ないビジネスエリアだけではなく、丸の内は休みの日に遊びに来るところになったとPRしたのだ。以後、高層ビルの建て替えが行われるたびに、1階には高級ブランドの路面店やカフェ、バーが入居。さらに地下や低層階にはファッションや飲食店など多くの店が入るパターンが踏襲され、流行の先端を行く街へと変貌したのであった。

人が歩く街こそ活気がある

その中心となったのが丸の内仲通りだ。日比谷通りに並行し、南は晴海通り北は永代通りまでの道で、もともと三菱グループのビルが建ち並んでいたが、今や街路樹と歩道が整備され、冬はイルミネーションが施されるショッピングゾーンである。1999から2000年の年末年始に「東京ミレナリオ」の会場となって、一気にその名が高まった。

冬の風物詩のイルミネーション(筆者撮影)
赤レンガの外観が目を引く三菱一号館美術館(筆者撮影)

人を丸の内へと集める大きな効果を生んだ要因の1つが、「丸の内仲通りアーバンテラス」と称する、歩行者天国であろう。朝夕の時間帯を除く日中、丸の内仲通りに交通規制をかけて歩行者に開放するイベントで、銀座や新宿とは違い、毎日実施されていることが大きく、東京駅や周辺の地下鉄駅からの人の流れを引き寄せている。

十文字に交差する行幸通りも中央部が歩行者専用として開放されており、昨今、結婚記念写真を撮影するスポットとして人気を集めている。以前はビジネスパーソンと業務用の車両しか行き交わなかったエリアだったが、街にふさわしい商業施設を設け、徒歩の買い物客を安全に引き込めれば、にぎわいが創出できる好例である。

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