実家に来ない息子夫婦、不満が憎しみに 気持ちを伝えられずに苦しむ日々

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とても親思いの太田さんの長男でしたが嫁姑の折り合いが悪く、その優しさ故に妻にも優しい彼は別居して、遠方から親孝行をする道を選んだのです。でも太田さんのおばあさんは、“苦労して育てた息子が自分を捨てた”としか受け取れません。50年も前の話なのに私が今も鮮明に覚えているほど、気も狂わんばかりの慟哭する日々が続きました。

その数軒隣りの朴さん(仮名)のおばあさんも、同じ嫁姑問題を抱えていました。息子が結婚すれば、余程の事情がない限り同居が当たり前でした。そんな今日からは想像しにくい時代に、太田さんのおばあさんと同じ期間の10年間の長男家族との同居の結果、朴さんのおばあさんには、当時としてはコペルニクス的な発想の転換が起こっていたのです。

“その日に子供に食べさせる米やムギもない日”もザラだったという時代でも、どこの家でも特別に長男は大事に育てられました。韓国の家庭特有の先祖の祭祀を引き継ぎ守り、そして、(だから育てたのではないでしょうが)親の老後もみることになっている長男は特別だったのです。その長男との別居はとても親を不安にさせるものですし、親戚や狭い社会で、親子でとても恥となる時代でした。

ですが朴さんのおばあさんは、自分から息子に別居を持ちかけ、喧嘩ひとつせず平和にそれを実現させたのです。外面は平和だったでしょうが、朴さんのおばあさんも一人になったときは、太田さんのおばあさんと同じように慟哭していただろうことは想像に難くありません。

太田さんのお嫁さんは毎日のように姑宅へ通い世話をよくしましたが、いつも太田さんのおばあさんは不満がいっぱいでした。一方朴さんのお嫁さんはこれ幸いにと、姑宅には寄り付きませんし、姑をこれでもかと冷遇しました。それでも朴さんのおばあさんは、息子夫婦の悪口はいっさい言いませんでした。

毎日家に通って世話をしてくれる息子夫婦を、“一緒に住んでいないから私を捨てた”と憎悪に燃えている太田さんのおばあさん。これに対し、小賢しい嫁に騙されている息子にも一言も言わず、これ以上嫁に嫌われた存在として家庭内で揉めながら生きるよりはと、あの時代に別居を親から言い出した朴さん。本当に嫁と姑の関係も、姑の考え方一つで大きく変わるのです。

“物わかりが良すぎる姑”への違和感

ここで私は、“心の平和のために状況を柔軟に解釈しつつも、自分の希望ははっきり伝える“ことのバランス感覚が大切なのだと思います。

“心の平和”、ないし“物わかりのいい親”の他の事例ですが、私の年上の友人の利志子さん(仮名)の息子は、社会的にも名のある人ですが、やはり同じ都内にある実家には14年間寄り付きもしないそうです。些細な行き違いがきっかけだそうですが、利志子さんは、息子夫婦はこれ幸いにとそれを口実に、親から遠ざかっているというのです。牛に首縄をつけて引っ張るようにはいかず、育てたあとの息子は社会に返したと思うようにしているとのことでした。

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