本作の直接的な背景にあるものは、2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロ事件と、それに端を発し、2003年3月に英米軍による空爆が皮切りとなった「イラクの自由作戦」(イラク戦争)だ。
キャリーはCIAの諜報員として多大な犠牲を出した大規模テロを防げなかったことに責任を感じ、国防に対する使命感は常軌を逸している。もともと双極性障害(躁うつ病)を隠して薬を服用しているという設定のキャリーは、しばしば情緒不安定になり、ブロディと次なるテロを防ぐための情報をつかむことに没頭する様子は狂気に近い。
一方で、ブロディの穏やかな表情からは、何を考えているのかまったく読めない。劇中ではイラクで行方不明になっている空白の時間が、フラッシュバックで断片的に明かされていくのだが、残酷な拷問を受け、身体的・精神的にも徹底的に破壊されて廃人同然となる姿は痛ましい。
が、その後、アルカイダの悪名高きテロリスト、アブ・ナジールが現れてからの展開には、別の意味で背筋がすっと寒くなるものがある。
キャリーとブロディは監視する者と監視対象という関係ではあるが、正義感や愛国心、平和を愛する信念の強さにおいては驚くほどに共通点があると言えるだろう。
正義とは? 白黒つけられないグレーゾーンを描く
ただし、正義とは何か、愛国心とは何か、信念とはどういう形で体現するべきなのか、といったことには個人差がある。場合によっては、同じアメリカ国民であっても、まったく違う行動でそれを示そうとするかもしれない。本作が描いているのは、この「何が正義なのか、誰にとっての正義なのか」という、簡単には白黒つけることの難しいグレーゾーンにほかならない。
現実として、アメリカの無人機の誤爆によって民間人を巻き添えにしたことは隠しようもない事実であり、2004年5月に発覚した米兵によるイラク人捕虜虐待をはじめ、悪名高いグアンタナモ米軍基地の収容所で行われていた非道な行為の数々は、全米のみならず世界を震撼させた。これらの事実は、本作の背景として非常に重要な要素である。
だからといって罪もない人々を大勢巻き込むテロの大義を認めることはできないし、絶対的な悪であるということは大前提だ。キャリーのテロに相対する姿勢は何があっても揺らぐことはないが、本作に登場するテロを企てる側の多くは、前述のように多くのものを失い、傷ついた人々だ。
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