菅義偉が明かした「首相在任時」の決断・葛藤・成果 官邸主導体制「私はうまくいったと思っている」

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塩田:コロナ未収束の緊急事態宣言下にもかかわらず、東京オリンピックとパラリンピックの予定どおりの開催を決断し、全日程を終えました。国民の間では反対論も少なくなかったのですが、再延期や中止は考えなかったのですか。

:オリンピックは、東京が手を挙げ、国も一緒になって招致活動を行い、招致したのです。開催について大きな責任があると私は思っていました。問題はコロナの感染状況です。コロナをコントロールできる状況であれば、オリンピックはやるべきで、日本が総力を挙げれば、コロナのコントロールはきちんとした形でできると思っていました。

安全安心の大会を実現するために、IOC(国際オリンピック委員会)にも、派遣する人数は最小限にしてほしい、と言いました。選手団や関係者が18万人、日本に来る予定でしたが、実際は5万3000人でした。同時に、入国の際、水際できちっと止められる検査体制を作る。選手村での対応を含め、最悪の事態のにはならないだろうと冷静に計算していました。

併せて、無観客という判断を下しました。選手たちのことを考えると非常につらい決断でしたが、緊急事態宣言下ではやむをえない判断でした。しかし、世界で40億人超がテレビとインターネットでオリンピック、パラリンピックを見るという話を聞いていました。それが判断の有力な材料ともなりました。

(撮影:尾形文繁)

共生社会の実現、心のバリアフリーを発信できた

塩田:コロナ危機の中でのオリンピック開催は、日本にとって、あるいは世界にとって、どういう意味があったと受け止めていますか。

:コロナ禍でみんな内向きになっているとき、選手の皆さんが長年にわたって練習を積み重ねてきたパフォーマンスを発揮した。パラリンピックでは、障害があっても、努力すればできるんだという力を見て、日本はもちろん、世界の多くの人々が感動とか夢とか希望を見いだすことができたと私は思っています。障害のある人もない人も助け合い、支え合っていく共生社会の実現、心のバリアフリーを、日本から世界に向けて発信することができたのでは、と思いますね。

世界がパンデミックという中での大会でしたが、結果として、心配された事態はほとんどありませんでした。オリンピックには社会を前に進める見えない力があると思います。本当に開催してよかったと思っています。

後編:菅義偉「国民の皆さんに伝え切れていなかった」(1月16日配信)

塩田 潮 ノンフィクション作家、ジャーナリスト

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しおた うしお / Ushio Shiota

1946年、高知県生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科を卒業。
第1作『霞が関が震えた日』で第5回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書は他に『大いなる影法師―代議士秘書の野望と挫折』『「昭和の教祖」安岡正篤』『岸信介』『金融崩壊―昭和経済恐慌からのメッセージ』『郵政最終戦争』『田中角栄失脚』『安倍晋三の力量』『危機の政権』『新版 民主党の研究』『憲法政戦』『権力の握り方』『復活!自民党の謎』『東京は燃えたか―東京オリンピックと黄金の1960年代』『内閣総理大臣の日本経済』など多数。

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