ビートルズ「横断歩道を歩く写真」が撮影された訳 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter39
生まれるとき、死ぬとき……――「ターン・ターン・ターン〈Turn! Turn! Turn!〉」
カリフォルニア大学バークレー校キャンパスのほど近く、反戦運動家の学生たちが造ったピープルズ・パーク(人民公園)は、詩のスタンドに学生がたむろする平和な場所であるはずだった。
だが1969年5月15日、集まった人々を蹴散らそうとした警察が、学生に向けて散弾銃を発砲するという事件が発生した。この衝突の結果、1人が死亡し多数が重傷を負う事態となった。
「血の木曜日」と呼ばれたこの事件を新聞の報道で知ったジョンは、平和という大義への思いをいっそう強くした。
「新聞を読んで、呆然とした。言葉を失ったよ」とジョンは語っている。
ジョンは、すぐにでもアメリカに渡ってデモ参加者と語り合いたい気持ちに駆られた。だが、1968年の大麻所持で有罪となったのを理由に、ジョンのビザ申請は繰り返し却下されていた。

















