ビートルズ「横断歩道を歩く写真」が撮影された訳 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter39
だが、『ローリング・ストーン』誌の記者とのインタビューでは、ジョンは次のような不安も吐露している。
「そうだね、アメリカに行くのはすごく怖いよ。あそこでは人々がすごく暴力的になっている。僕らのような類の人間ですらね」
「僕たちの仕事は、いますぐ人民のための曲を作ること」
恐れと不安に直面しながらも、ジョンの音楽への情熱は衰えることがなかった。
「いまこそ、だれかが人民のための音楽を書くべきときじゃないか?」と、ジョンはヨーコを相手に熱弁を振るった。
「それが僕の仕事だ。僕たちの仕事は、いますぐ人民のための曲を作ることだ」
5月31日。ジョンとヨーコのスイート・ルームには、満月の光が差し込んでいた。ジョンが毎日撒いている花びらが、月の光を受けて床の上で白く輝いていた。
翌日、「ベッドイン」の会場で、予定外のレコーディング・セッションが始まった。
録音機材はマイクが4つと、4トラックのアンペックス・レコーダーのみ。
アビイ・ロードのスタジオとは比べ物にならないほど粗末な設備だったが、ジョンは、平和を願ってヨーコと二人で書いたこの曲を、シンプルなサウンドで録音したいと考えていた。
「一緒に歌おう」
ジョンはアコースティック・ギターをかき鳴らしながら、有名人ゲストたちに呼びかけた。
その日部屋に集まっていたのは、ヨーコをはじめ、コメディアンのトミー・スマザーズ、LSDの伝道師ティモシー・リアリー、詩人のアレン・ギンズバーグ、ビートルズの広報担当者であるデレク・タイラー、そしてモントリオールのハレ・クリシュナ寺院からやってきた十数名の信者たち、といった顔ぶれで(彼らの名前は、ジョンの最初のソロ・シングルとなったこの曲の歌詞に組み込まれることになった)、レコーディングは1回きりのテイクで行なわれた。