金持ちにはわからない「親ガチャ」の悲しさ残酷さ 「日本の未来」を暗示する格差大国アメリカの姿
私が小さいころディズニーランドに行ったとき、そこには裕福な子、中間所得の家庭の子、低所得家庭の子がいた。
しかしディズニーランドでは、みんな同じディズニーランドを経験した。みんなチケットブックに9ドル50セント払った。Eチケットをとっておき、「カリブの海賊」の行列に45分並んだ。ディズニーではみんな同じ経験をしたのだ。
いまディズニーはこう言っている。カネをあまり持っていない人は119ドル。普通の食事をして、順番待ちの列に並んで。少しカネのある人は、170ドル払えばファストパスというものをあげよう。「カリブの海賊」に1時間並ぶことなく、たった10分で入れる。
そして上位1%の超リッチな人々には、VIPツアーがある。5000ドルであなたと友人6人のグループにツアーガイドが1人つく。特別なダイニングルームでコスチュームを着たキャラクターが給仕してくれる。バックステージにも入れる。列に並ばなくていいどころではない。従業員用エントランスから入れるのだ。
「庶民は炎天下で並び続ける」のは大学も同じ
オーケー、ディズニーランドはそもそも共産主義のユートピアではない。自由企業の1つだ、そうだろう?
ディズニーランドがカースト制に加担するのは気にならないというなら、こう考えてみてほしい。もう一度、先の文章を読んで「ディズニーランド」のところをすべて「大学」と置き換える。それは同じことだ。
高等教育は人を引き上げる大きな力だ。それは階級格差を生みやすい資本主義への対抗手段であるはずだった。しかしアメリカの高等教育は、上へ向かうためのはしごではなく、カースト制度を強化するものになってしまった。
私は、上着をなくして泣いていた状況を脱し、息子が上着をなくしたのを笑っていられるようになった(「血は争えないな」)。それはカリフォルニア大学のおかげだ。
私が高校を卒業したとき、UCLAの合格率は60%を超えていた。それでも1回目の挑戦では入れなかったが、入試担当事務局が私の必死のアピールに同情してくれた。
そんな恩寵を与えられ、またカリフォルニア州の寛大なる納税者のおかげで入学がかない、それが現在の私の土台をつくった。
UCLAからウォールストリートでの仕事を得て、その後、UCバークレーのビジネススクールに入学した。最初の妻とUCLAで出会い(いまでも友人である)、彼女の収入のおかげで自由に動け、プロフェットとレッド・エンベロープという会社を共同で設立することができた。
ビジネスパートナーにはUCバークレーで出会った。彼がいなければ、どの会社の設立も実現しなかっただろう。UCバークレーの教授の1人で私のメンターになったデイヴィッド・アーカーがプロフェットに関わってくれたことが、初期の成功のドアを開いてくれた。
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