学校内のヒエラルキーから解放される非日常
東京郊外の複数の中学校から、星に興味のある生徒が参加するもので、わが天文部も毎年参加していた。普段は人目を避けるように地下の理科室でひっそりと活動していた天文部だが、八ヶ岳高原に似た者同士が集まって過ごす3日間の解放感は格別だった。お寺の宿坊に寝泊まりするのだが、昼間は庭で卓球をしたりバドミントンをしたり。学校内のヒエラルキーから解放され、誰にもバカにされず、のびのびと楽しむのだった。
夜中になると、いよいよ流星群の観測タイムだ。懐中電灯を頼りに山に登り、夜空を見上げ流れ星を数えていく。こんな時間に外にいるというだけでも中学生にとってはかなりの非日常感、しかもペルセウス座流星群の極大日ともなると、まさに「星降る夜」だ。
そんな状況で、さまざまな学校から集まった思春期の男の子と女の子が一緒に夜空を見上げる。学校では「イケてないヤツ」と位置づけられ、そのラベルを内面化した自意識にも縛られて、ロマンスとはいっさい縁のない天文部員たちだったが、このときばかりは淡い恋さえ生まれたりするのだった……。
あの3日間、どうしてこうも変われたのか? それは僕たち自身というより、僕たちに向けられる視線が変わったからだと思う。キャラクターや人間性は決して絶対的なものではなく、むしろ環境や人間関係に左右される部分が大きいのだ。
職場でも、どんな視線が向けられているかでパフォーマンスが大きく変わってくる。力を発揮できていないメンバーがいたら、その人に向けられている視線のほうをリセットしてみる必要があるかもしれない。たとえば、「愛すべき天然ボケ」みたいないじられキャラは、失敗しても笑って許してもらえる。若いうちは有利だが、そのまま年齢を重ねていくと単に軽んじられる人になってしまう。会議で何を提案しても笑ってスルーされ、翌週別の人がほとんど同じ提案をすると採用されたりする。
本人の努力も大事だが、周囲の視線の力はけっこう強力だ。能力を最大限に発揮できず、既存のヒエラルキーを安定させるためのスケープゴートとして利用されてしまう場合だってある。自戒を込めてだが、特にリーダーはそのことに自覚的になるべきだろう。星空を眺めるたびにそんなことを思うのだった。
構成:宮崎智之
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この記事の筆者・長谷川裕氏がプロデューサーを務める「文化系トークラジオLife」が、8月31日(日)25:00~(9月1日1:00~)に放送されました。テーマは「ソーシャル、レジャー、リア充」。過去の放送は、ポッドキャストでも聴けます。
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