アメフトと二刀流で挑む「ボブスレー」五輪への道 中学の不登校期間中に「アメフト」と出合い転機

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アメフトとボブスレーの“二刀流アスリート”である栗原嵩選手に、ボブスレー挑戦への背景を聞きました(写真:ディンゴ)
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新たな挑戦には、不安がつきまとう。就職でも転職でも、経験のないことを始めるときは、誰もが一番下からのスタートだ。ずっと同じ環境にいたほうが、楽かもしれない。そう思って、足踏みしてしまう。

それでも、その不安を越えた先にはまったく違う世界が待っている。その世界は必ず自分に“プラス”の影響をもたらし、人生を豊かにしてくれる。

プロアメリカンフットボール選手・栗原嵩。「NFLに最も近づいた日本人」として知られる彼は、そう信じてアスリートとしての挑戦を続ける。その挑戦は、競技の枠すらも超える。

(※NFL=National Football League、アメリカのプロアメリカンフットボールリーグ)

2015年には、NFLに挑戦しながら、7人制ラグビーの日本代表合宿に参加。2016年にリオデジャネイロ五輪でベスト4入りを果たしたメンバーと、約1年間活動を共にした。

そして現在、栗原はボブスレー日本代表として、2022年北京冬季五輪出場を懸けた戦いに挑んでいる。

ボブスレー挑戦を思い立ったワケ

「NFLで何年かプレーしたら日本に帰って、ボブスレーでオリンピックに出るっていう自分の人生プランがあって。それは学生時代から考えていた」

2010年、日本社会人アメリカンフットボールリーグ「Xリーグ」に所属するパナソニック インパルス(本拠地:大阪府門真市)でキャリアをスタートした彼は、2013年に移籍したIBMビッグブルー(本拠地:千葉県千葉市)で、プロ選手として契約。

2013年からは2年連続で、アメフトの最高峰NFLのトップチーム・ボルティモアレーベンズのキャンプに参加した。中学生時代から憧れ続けた舞台。日本人初のNFL選手を目指し、契約直前まで迫った。

ボブスレーへの挑戦は「年齢的にも、体の調子的にも、いいタイミングだった」と栗原選手(写真:ディンゴ)

2015年を最後にNFLへの挑戦を終えると、2016年には、アメリカンフットボール東日本社会人選手権(パールボール)でIBMビッグブルーを優勝に導く。栗原自身はMVPに輝いた。

現在は、Xリーグのイコールワン福岡SUNSに所属。34歳になった今も、厳しいトレーニングによって身体能力を高め続けている。

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