あのプーチンを脅かす露「反体制カリスマ」の正体 クレムリンは「現政治体制に対する危機」と認識
ナワリヌイが目指してきたのは、偏った制度で成功することではなく、制度のひどい偏りを際立たせることなのだ。
ナワリヌイは“普通の”政治家――候補者リストに名前が載り、政党を登録でき、地方を回って支持者に会っても逮捕されたり、毒殺されたりしない人物――になろうと奮闘することによって、その目標を達成した。政治の世界に入ろうとして、邪魔され、閉ざされたことを世に示すことで、ナワリヌイは人々にロシア政治体制の現実を直視させたのだ。
体制の強権的な特徴、そして、その腐敗ぶりをなるべく大勢の目に触れさせていれば、街に出て現状に抵抗する人の数が増える。それがナワリヌイの希望だったのは間違いない。
しかし、ナワリヌイとその参謀は、抗議するだけでは体制をひっくり返せないこともよくわかっていた。生活水準、公益事業、政治の停滞が蔓延しているが、変化やカオスに対する恐怖、それに指導者――ナワリヌイも含む――に対する不信感も同様に広がっている。
抗議活動に全精力を傾けるのではなく、ナワリヌイと彼のいちばん古い仲間のボルコフは別の手段でも権力者に挑戦する手だてを考えた。2人の目標はエリート層の分断だった。それによって政治分野でもできるかぎり競争をあおったのである。
スマート投票作戦も1つの手段だった。選挙ごとにプーチンの支持母体を少しずつ削るわけだ。いきなりプーチンその人を阻止するのではなく――ナワリヌイはそんなことは不可能だと思っていた――いつも目の上のたんこぶでいる戦法だ。そんな理由から、ナワリヌイは「刺激する人」とぴったりな表現で形容されてきた。
「私は抗議集会を呼びかけるだけ」
2020年の3月もそろそろ終わるころ。若い活動家エゴール・ジューコフは、ラジオ局エーホ・モスクヴィのスタジオでナワリヌイと対面した。彼は活動家になるきっかけをつくってくれ、自身も大勢の人々が活動をはじめるきっかけになれたことに対して、ナワリヌイに感謝した。しかし、その日のジューコフは攻撃モードだった。
無理もないことだが、抗議集会はもっと大きな行動計画に組み込まれないかぎり、目的を達成できないことが多い、とジューコフは切り出した。人々が2時間ばかり抗議の声を上げて家に帰っても、当局はなんとも思わない。必要なのはもっと継続性のある運動だ。平和的だが影響力のある運動だ。例えば、道路を封鎖するとか、官庁を占拠するといったことだと。
ナワリヌイの答えは明確だった。憲法を読むと、人々には「平和的かつ非武装で集会する」権利があると記されている。当局からの正式な許可が得られなくても、その権利を守り抜くつもりだというのだ。「私は抗議集会を呼びかけるだけだ。モスクワ市当局がなんといおうと知ったことではない」。ナワリヌイの過激さとは、せいぜいそこまでだった。
およそ革命というものにアレルギーがあるからではない。例えば、2011年、「アラブの春」の一部として、中東や北アフリカで体制を転覆した「腐敗したエリートと広範な一般大衆との対立」はロシアでも起こりうる、とナワリヌイは考えていた。2016年にもその希望を語っている。彼はこの点で、ロシアの古参リベラル派とは一線を画している。古参リベラル派の多くはいかなる混乱にも基本的に反対だった。