あのプーチンを脅かす露「反体制カリスマ」の正体 クレムリンは「現政治体制に対する危機」と認識
実際には、活動家になる前から政治にかかわっていた。そして、政治家の世界に足を踏み出したときには希望に満ちていたが、結局、ナショナリズムとかかわったことで、ヤブロコ党の指導者層と衝突し、挫折した。しかし、政治のキャリアは代表的な反汚職ブロガーとしての地位を確立したあとにはじまり、異なるイデオロギーをもつ人々を共通の大義のもとに束ねるメッセージを見つけ、政治エリートを攻撃した。
また、オンライン活動家として有名になったことが、2013年のモスクワ市長選で追い風となった。こうした政治的な成功を受けて、彼は何年もの間、政党登録を模索し、最終的に2018年の大統領選の選挙戦を開始した。
しかし、ナワリヌイは名が知れわたるにつれて、そして、クレムリンにとって厄介な存在になるにつれて、次々と障壁にぶち当たった。こうした困難に見舞われながら、彼は抗議活動を率いる役割を担っていく。2011~12年の「公正な選挙を求める運動」では、カリスマ性と熱意を見せた。
ただ、組織運営の世才はあまりなさそうだった。そのため、参謀のレオニード・ボルコフとじっくり相談し、全国ネットワークの構築に着手し、ナワリヌイのメッセージをモスクワ以外にも届け、地方の潜在力を利用しようとした。
2021年1月にロシアに帰国してからのナワリヌイについても、同じ3要素が絡み合っていたことがわかる。汚職との闘い、政治、そして抗議活動。ただし、ナワリヌイはいまや塀のなかにいる。そして、彼の運動はますます重要度を増している。
政治において目を見張るほどの成果を挙げてはいない
ナワリヌイは政治においてほしいものを勝ち取ったのか。政界で収めた勝利をふりかえってみても、目を見張るほどの成果を挙げたとはいえないだろう。選挙での最大の成果は、2013年のモスクワ市長選で2位になったことだろうが、それさえ、他人の自叙伝の脚注に載る程度のことだ。
次に大きな成果は2020年のスマート投票(与党・統一ロシアの候補に勝つ見込みがいちばんある候補者に投票先を絞る)作戦だ。
ナワリヌイ自身は候補者名簿に載せてもらえなかったが、地方事務所の活動家数人を当選させ、地方議会へ送り込んだ。それも特記するほどのことではないかもしれない。
だが、ナワリヌイにとっては、はなから不利な材料しかなかった。筋の通った反対勢力は意図的に脇に追いやられるか、抑圧的な政治制度の抵抗をまともに受けていた。そんな状況でも、彼はそれだけのことを成し遂げたのだ。
ロシア人にとってはいまだ最も重要な情報源である国営テレビに出られないのに、知名度が75%もあるという事実は、長年の奮闘とあらゆる機会をとらえてメッセージを伝えてきた結果である。そして、クレムリンが都市部の中産階級と残りの地方部とで二極化を進めてきたにもかかわらず、ナワリヌイの支持が大都市圏でも、小さな街でも、田園地帯でもほぼ変わらないというのは驚くべきことだ。