6年間で5000個食べた男が語るシュウマイの魅力 老舗から冷凍食品まで実はこんなに多彩だった
「町中華でシュウマイを扱うお店は、浅草の來々軒にしろ、長野発祥の丸長グループ系列にしろ、戦前にスタートしている老舗が多い。シュウマイの歴史を今に伝えるレガシーともいえますね」
第4世代は、肉まんとともに広まった「おみやげシュウマイ」。1952年に豚まんと同時にシュウマイの製造実演販売を開始した551蓬莱などはその筆頭である。ここでシュウマイは外食から中食、つまり持ち帰りというポジションを獲得することとなる。
ご当地シュウマイの長、呼子のいかしゅうまい
第5世代、それまで外食でしか食べられなかったシュウマイは、冷凍冷蔵技術の発達により、いよいよ日本の一般家庭へと本格的に進出していく。1960年後半からスーパーの惣菜コーナーで発売され、商店街にあるお肉屋さんでも「今晩のおかず」として、手軽に買えるようになったのだ。
「ただ、そのお手軽さがわざわいして、メインのおかずではなく、時間がないときのもう一品的な地位に甘んじるようになった印象は拭えません。さらに2000年が近づくと、冷凍餃子のクオリティが一気に上がって、レンジでチンするだけのシュウマイは水をあけられる格好となりました」
そんな冷凍シュウマイの2000年問題が起こる一方で、モータリゼーションによる観光ブームを背景に、全国各地でジワジワと生まれたのが第6世代のご当地シュウマイだ。もっとも代表的なのが、佐賀県唐津市呼子町の「いかしゅうまい」。
いかの産地として名高い呼子の海中レストラン萬坊(現・株式会社萬坊)が、懐石料理のしんじょをヒントに開発し、1989年に販売を開始した。現在は全国に販路を拡大し、ご当地シュウマイにおける成功事例の筆頭となっている。
「最初に出会ったときの衝撃たるや。えっこれがシュウマイなの? と正直驚いたほどでしたが、いざ口に含むといかの旨みと香りが凝縮されてるし、ふんわり感とプリプリした食感が同居していて虜になりました。個人的にはこれをしんじょと呼ばず、あえてしゅうまいと名付けたネーミングセンスに最大の賛辞を送りたいですね」
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