そして、「日本経済のパフォーマンスは改善したので、このように大規模な介入を継続することはもはや正当化されない」とし、「日本政府によるドル資産の蓄積ペースを減速し、最終的に停止する必要がある」としたのである。
日本政府・日銀は、グリーンスパンの警告を受けて、兆円単位の介入を、3月5日を最後として停止した。そして、3月16日を最後に、為替市場介入を完全に停止した。外国から言われて止めるというのは、何とも主体性がない話だが、無謀な介入を継続するよりはよかったと言えるだろう。
ただし、日本政府が介入を停止した後も、為替レートの円安は続いた。06~08年までの円ドルレートは、ほぼ一貫して1ドル=115~120円程度の範囲の円安であった。
こうなったのは、円キャリー取引(ヘッジファンドなどが円を借りてドルに転換し、ドル資産で運用する取引)が誘発されたためだ。これは投機的な取引だが、為替レートが円高に動かなければ、日米間の金利差に相当するだけの利益が得られる。03年からの大規模な介入は、日本政府が1ドル=100円を超える円高は許容しないことを全世界に表明する結果になった。そして、円キャリー取引は円安を促進するので、期待が自己実現する結果となり、「投機が投機を呼ぶ」というバブル的な状況がもたらされたのである。
われわれは、この期間の経験から、多くのものを学ぶことができる。
第1は、外需に依存すれば、国内経済の状況が、外国の経済情勢、なかんずく金融政策に大きく影響されてしまうことだ。
そして、それに対処しようとして金融政策を発動すると、国際的な資本移動に大きな影響を与えてしまう。これが第2の教訓である。これは、80年代までの世界ではなかったことだ。現在の世界では、金融政策の影響は国内にはとどまらない。国際的な資本移動にいかなる影響を与えるかを考慮しつつ、慎重に進めなければならない。03~04年の大規模為替介入は、こうした必要性を明確な形で示したのである。
■関連データへのリンク
・財務省「外国為替平衡操作の実施状況」
・日本銀行時系列統計データ
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。
(週刊東洋経済2010年7月24日号 写真:今井康一)
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