「重度のネット依存」と診断された男性が語った今 依存症の自助グループを仲間と立ちあげ活動
そのまま迎えた大学生初の夏休み。サークルに行かなくなり、バイトもしていなかった白水さんは、ゲームの攻略動画を見て「本腰でやってみよう」と「ガチモード」に入った。
それからは、15時ごろに起きてゲームに没頭し、朝8〜10時に寝る昼夜逆転の生活。気付けば、ゲームをやめられなくなっていた。
やめられない自分をずっと責め続けていた
ゲーム三昧になった白水さんの異変に気付いたのは、家族だった。母親がネット依存症について書かれた新聞記事を持ってきて、通院をすすめてきたという。
「記事に書かれている内容はすべて当てはまると思いましたが、病気とは思わず、『ネット依存症』はメディアが作り出した言葉だと思っていました。ただ、良くなるのであれば行こうという軽い気持ちで病院に行ったところ、『重症』と言われて……。正直、安心する自分もいました」
こうして、月に1回の通院を始めた白水さん。夏休みが終わり、新学期が始まると「やり直すぞ!」と気合いを入れた。ところが、1カ月も経たないうちに、ゲームに明け暮れる日々に戻っていた。以前と違ったのは、別のサークルに入り直したことだ。
「ボランティアサークルに入ったんです。医師に『人間関係を切ると、ゲームしかなくなってしまう』と言われたので、サークルだけは続けていました。サークルの部屋にこもり、ゲームばかりしていたのですが……。文書を書いたり、発表したりすることはできなかったけれど、ボランティア活動だけは真面目にしていました」
バイトも始めた。しかし、授業には行くことができないまま、大学4年目には休学した。病院は転院を繰り返した末に、徐々に行かなくなった。「治す気もゲームから離れられる気もしなかった」ためだ。ただ、白水さんはゲームやネットを心から楽しんでいたわけではなかった。やめられない自分をずっと責め続けていたという。
「学生として機能していませんし、単位もまったく取らずにみっともない、『社会のクズ』と思っていました。バイト先にも単位が取れていないことを隠していましたし、ゲームをしていることも自分からは言えませんでした」
大学は約1年半休学。いつの間にか、同期の学生は卒業し、社会人になっていた。単位を落として留年した同期も大学5年目を終えていなくなり、自分がただ取り残されていくことに気付いた白水さんは絶望の淵に立たされた。
「延命治療のように休学期間を延ばしても、何も残りませんでした。ゲームをやり出してから何も変わらなかった。もう生きていけないと思い、うつ状態になったんです」