日本の子が授業中「座っているだけ」に陥る真因 「置いてけぼり続出」の一斉授業をどうすべきか

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現在も、すでにタブレットを使った授業が行われるようになってきていますが、その使い方は次のように、一斉授業の中で補完的に使う形が一般的です。

▼一斉授業の中で出された問題について自分で調べたり、意見をまとめたりする
▼調べたことや自分の意見を、タブレットを使って発表する
▼練習問題を解く

もちろんこういった使い方も有効ですが、タブレット本来の能力を十分使っているとは言えません。一斉授業という枠内に止まっている限り、内容を理解できていない子がいても、標準の授業時間数が終われば次に進まなければならないという点は変わらないのです。

話し合いと授業の場を分ける

ところで、学校の授業というと、子どもたちの活発な話し合いをイメージする人が多いと思います。ですから、個別最適化された授業でそれがなくなることに抵抗を感じる人は多いと思います。でも、私は、例えば比例の内容を理解したり円の面積を求める式を理解したりするために話し合いをする必要はないと考えます。

話し合いは、次のようなことで行えばいいのです。

▼学校・学級の諸問題について話し合い、問題解決する
▼校則や学級の約束について民主的に話し合い、改善する
▼学校・学級行事について話し合い主体的に運営する
▼地球温暖化などの環境問題、貧困、差別、平和、少子高齢化など、社会的な問題について話し合って意識を高め、主体的な行動につなげる
▼読んだ本の感想や解釈について話し合い、多様な考え方に触れる

こういった内容の話し合いなら、どの子も対等に話し合いに参加できる可能性が高まります。

日本の学校は、何事も全員一斉に足並みをそろえて行うことが前提の設計になっています。それによって、息苦しさを感じてうつ的な症状が出たり不登校になったりする児童・生徒が増加しています。

彼らは「もうそういうやり方は通用しない。学校は制度疲労を起こしている」ということを教えてくれているのです。

世界は多様性を受け入れる方向に向かっています。価値観もそうなってきていますし、ICTの発達で技術的にもそれが可能になっています。「みんな同じでみんないい」時代は終わり、「みんな違ってみんないい」時代になりつつあるのです。それは言い換えると「みんな同じじゃみんなダメ」な時代でもあるのです。

親野 智可等 教育評論家

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おやの ちから / Chikara Oyano

長年の教師経験をもとにメールマガジン「親力で決まる子供の将来」を発行。読者数は4万5000人を超え、教育系メルマガとして最大規模を誇る。『「自分でグングン伸びる子」が育つ親の習慣』など、ベストセラー多数。人気マンガ「ドラゴン桜」の指南役としても知られる。全国各地の小・中学校、幼稚園・保育園のPTA、市町村の教育講演会でも大人気。ブログ「親力講座」もぞくぞく更新中。講演のお問い合わせとメルマガ登録は公式サイトから。Xで毎日発信中。

 

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