この2003年の石油輸送廃止をもって、東武鉄道における貨物輸送はすべて姿を消した。実は丸山さん、貨物輸送が廃止された当時の担当者のひとりだったとか。
「やっぱりトラック輸送が主流になっていきましたからね。時代の流れというのでしょうか。石灰石輸送もやっていたので、佐野線はどの駅もすごくホームが長いんですよね。正確に言えばポイントからポイントまでの距離が長い。それは貨物輸送時代の名残です。いまは2両編成の電車がほとんどなので広すぎるなあと思ってしまうんですが」(丸山さん)
丸山さんは入社時に太田駅で勤務しており、その当時に先輩から貨車のブレーキホースの切断を見せてもらったとか。また、信号扱いをしていた時期には貨物列車の扱いで頭を悩ませた経験もあった。
「そのころは佐野線以外でも貨物輸送をやっていましたからね。ダイヤが乱れるとどうしても貨物列車は後回しで旅客列車をできるだけ通していこうとするじゃないですか。そうすると貨物の担当者が『貨物はどこ? 早く動かして』と言ってくるんです。だけど、こっちは『いやいや、まずはお客さんを』って。後になって貨物の担当をやるようになって、あのときの担当の人の気持ちがよくわかる(笑)。ただ、最後のほうはもう貨物のことを知っている社員も少なくなって、わからないことを調べようにも苦労しました」(丸山さん)
現在は車両解体場がある
北館林荷扱所は廃止されたが、跡地は車両解体場として利用されている。東武鉄道の車両はもちろん、直通運転を行っているメトロ車両、さらには小田急など他社の廃車車両の解体も行われている。東武の車両やメトロ車両は自力回送で解体場までやってくる。いわば鉄道車両の片道切符。かつて栄華を誇った貨物輸送の拠点基地に向かって解体を待つ車両が走ってゆくと思うと、なんだか切ない気持ちになってくるものだ。
さて、そんな東武鉄道の貨物輸送を支えていた佐野線だが、今は旅客列車が走るだけのローカル線になった。最初に福澤さんが教えてくれたとおり、お客の中心は通学の学生たちだ。
「やっぱり佐野日大高校ですよね、多いのは。館林駅からも佐野駅からもバスが出ていますし、吉水駅から自転車で行く学生が多い印象ですね。だからなのか、吉水駅の駅前はとても広いんです。駅前に自転車預かり所がありまして」(福澤さん)
高校生たちは、自宅から最寄り駅まで自転車で、そして学校の最寄り駅からも自転車で通学する。つまり2台の自転車と鉄道を乗り継いでいるというわけだ。
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