「ただ、北関東はクルマ社会ですしね。ラーメンにしたって駅から離れた場所にもたくさんお店があるわけです。だから、観光もクルマで来られる方がどうしても多いんですよね。お正月は確かに厄除け大師の参拝客でそれなりににぎわいますが、臨時電車を出すほどというわけではないんです」(福澤さん)
と、佐野線、どうやら観光路線としての側面には乏しいらしい。クルマの運転ができない学生たちが佐野駅前からアウトレットに向かうバスを待っていることもあるというが、全体からしたら少数派。が、そんな中でもここ数年お客の流れに変化が見られるという。教えてくれたのは、館林駅管区長の丸山直哉さん。
「2018年に両毛線のあしかがフラワーパーク駅が開業してから、館林方面から佐野線に乗って佐野駅で両毛線に乗り換えられるお客さまが増えたんです。それまではあしかがフラワーパークといったら東武伊勢崎線の足利市駅が玄関口で、大型連休の花の季節にはバス乗り場に長蛇の列ができて、私たちも人を増やして対応していたくらいだったんですけれど。でも、あしかがフラワーパーク駅が開業して足利市駅からのシャトルバスもなくなって、人の流れが佐野駅経由に変わってきているんですよね」(丸山さん)
貨物輸送の中核を担った路線
なるほど、1つの駅の開業は人の流れを大きく変える力を持っているというわけだ。
そんな佐野線だが、何よりの特徴は“貨物輸送”。もちろん今では貨物列車は走っておらず、2両編成の電車が行ったり来たりしているだけだ(朝と夜には浅草から特急「りょうもう」が1日1往復走る)。だが、かつて佐野線は東武鉄道における貨物輸送路線の中核を担う路線であった。
東武佐野線
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葛生駅の駅舎は2014年にリニューアルした
(撮影:鼠入昌史)
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葛生駅前。石灰石の採掘は今も行われており、周辺の道は
トラックが多く通る(撮影:鼠入昌史)
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葛生駅の先に延びていた貨物線の跡
(撮影:鼠入昌史)
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今でも貨物線の架線柱などが残されている
(撮影:鼠入昌史)
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写真のあたりにも貨物線が通っていたと思われるが
痕跡は乏しい(撮影:鼠入昌史)
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多田駅は簡易IC改札機が置かれているだけの無人駅だ
(撮影:鼠入昌史)
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相対式の多田駅ホーム。かつては中央にもレールが
あったのだろうか(撮影:鼠入昌史)
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田沼駅。近辺は江戸時代の老中・田沼意次を輩出した
氏族のルーツの町でもある(撮影:鼠入昌史)
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田沼駅前には「日本列島中心の町」の碑。
経度・緯度の“中心”である(撮影:鼠入昌史)
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学生の利用が多い吉水駅も簡易IC改札機がホームに
置かれる無人駅(撮影:鼠入昌史)
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地下通路を通ってホームに向かう堀米駅前
(撮影:鼠入昌史)
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堀米駅の脇にも駅設置を記念する碑が建つ
(撮影:鼠入昌史)
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堀米駅のホームには遠足の子どもたち
(撮影:鼠入昌史)
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堀米駅のホームへは地下通路を介して連絡
(撮影:鼠入昌史)
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佐野厄除け大師最寄りの佐野市駅は、厄除け大師を
イメージしたデザイン(撮影:鼠入昌史)
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佐野市駅の待合室は広々と。正月などはにぎわいを
見せる駅の1つだ(撮影:鼠入昌史)
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佐野市駅前の道祖神。その裏には開業記念の碑も
(撮影:鼠入昌史)
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駅構内には厄除け大師最寄り駅の看板
(撮影:鼠入昌史)
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島式ホーム1面だけのシンプルな田島駅
(撮影:鼠入昌史)
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田島駅もホームへは地下通路で連絡
(撮影:鼠入昌史)
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田島駅前から線路側を望む。広い構内は
貨物時代の名残だ(撮影:鼠入昌史)
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館林駅と渡瀬駅だけが群馬県館林市。館林名物分福茶釜の
狸が駅前に(撮影:鼠入昌史)
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