今回の公明党案は、「18歳以下」という支給対象が合理性を欠くことと、1回限りの支給なので継続的な安心感につながらないこと(だから昨年の「1人10万円」は消費に回らなかった)が欠点だったが、一律に支給される公平性とスピードおよび現金給付であることによる政府の国民生活への非介入性は好ましい政策だった。
一部をクーポンにしたがるのは、「消費に回してほしい」という景気対策上の意図が反映したのかもしれないが、そもそも再分配なのだから、困っている家計に現金が給付されることそれ自体が好ましいとまずは理解すべきだ。
給付が一時的なのだし、「貯蓄しておかないと心配だ」と思う家計が給付金を貯蓄に回すのは合理的な経済行動だ。景気に対する効果で分配の主な効果を評価しようというのは、「景気バカ」エコノミストにありがちな、卑しい政策評価だ。
岸田首相には「新しい資本主義」を語る資格がない
それにしても、今回の「1回限り」の給付金を見ると、今後、選挙のたびに各党が給付金をぶら下げて有権者の買収にかかるのだろう。何とも品のない国の将来が見える。
また、所得制限の愚かさは、年収が959万円の家計と961万円の家計の行動への影響を考えるとすぐにわかるし、そもそも再分配の効果は「給付」マイナス「負担」の「差額」で評価すべきものなので、「給付金の制度だけを見る」近視眼的な政策決定は不適切だ。
一律に支払って、適切な時期に(決して「今」ではない。インフレ目標達成後だ)、富裕者には追加的に多く負担してもらえば、給付はスピード感を持ってローコストに行えるし(所得チェックの手間などが不要になる)から、税金を公平に取るなら、再分配全体の効果も公平なはずだ。今年になってデジタル庁を作るようなデジタル後進国であるわが国にあっても実施可能な再分配政策である。
肝心なことは、「再分配の規模」「追加的税金の内容」「適切な増税の時期」を判断することだ。これら3点を的確に整理できないような首相には、「分配」を語る資格はないし、従って、「成長と分配の好循環」をコンセプトとするらしい「新しい資本主義」を語る資格などまったくない。岸田首相には、少しは自分で物事考えて、ブレない判断基準を養ってほしい。
今のところ、「新しい資本主義」は中身のない悪い冗談にすぎない。こんな話を大真面目にやっている国は不気味である(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
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