インドのカースト「ただの階級でない」意外な真実 ポルトガル語の「カスタ=家柄・血統」が語源

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インド人の生活において最も実感をもって「生きられている」のは、むしろジャーティーという集団概念である。ジャーティーは世襲的な職業(生業)に結びつけられ、その内部でのみ婚姻関係が結ばれる(内婚制)。

生業と内婚規則によって維持される、大工、石工、洗濯屋、金貸し、床屋、羊飼いなどさまざまなジャーティー集団があり、こうした多様なジャーティー集団の分業によってインド社会は維持されてきた。

インド人やインド研究者がカーストという場合、多くはジャーティーを意味する。本書でも、カーストをジャーティーの意味で用いる。ジャーティーとしてのカーストの数は2000とも3000ともいわれるが、実際にカーストを数え上げることは困難だ。

地域的な差異も大きいが、1つのカーストは、実際にはいくつもの副次的なサブ・カーストに分かれており、さらに実際に通婚する内婚集団としてみると、サブ・カーストよりもさらに下位のサブ・サブ・カーストであったりする。

カーストは複雑な入れ子構造になっており、外からみれば1つのようであっても近くによれば何十もの異なるグループが内側にあることがわかる(ルイ・デュモン『ホモ・ヒエラルキクス』田中雅一・渡辺公三訳、みすず書房、2001年。原書は1966年初版)。

カーストの上下関係は何によって規定される?

では、ヴァルナとジャーティーはどう対応するのだろうか? ジャーティーが職業集団とリンクしているのであれば、基本的には職業によって4つに分けられるヴァルナとも整合性がありそうである。

だがそう簡単にはいかない。例えば、南インドにおいて石工や鍛冶屋などで作られるヴィシュヴァカルマというカーストは、創造神ブラフマーの直接の子孫であるとして、ヴァルナ位階において最高位のバラモンよりもさらに高い地位を主張してきた。

だがほかのカーストからみれば、彼らはシュードラである。また農業にはカーストの規制がないが、植民地時代には「農民カースト」なるものが作られたりもしている(カルナータカ州のオッカリガ・カーストなど)。

人口の多さゆえにインド独立以降の選挙政治で圧倒的な力を持ったこうした土地持ちの農民カースト(「支配カースト」と呼ばれる)は、他カーストからはシュードラと思われているが、しばしばクシャトリア階級に属すると主張する。先述のデュモンによれば、外部者が簡単になれるのはクシャトリアか不可触民ということなので、言わずもがなかもしれない。

さて、カーストの上下関係は何によって規定されるのだろうか? 興味深いのはヴァルナでもジャーティーでもカースト制度のトップに立つのは司祭階級のバラモンで、実際に政治的・経済的権力を握っていたはずの王や武士たちは2次的な地位に置かれていることである。

バラモンは知的労働のみ行い、肉体労働を避けるため、王や有力者からの支援なしでは生きていけない。だが彼らの儀礼的な地位は王よりも上である。植民地時代からカーストに関するさまざまな理論が生み出されてきたが、そうした理論を統合し、「浄と不浄の対立」というたった1つの原理でこの不思議を説明しようとしたのがデュモンである。

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