いきものがかり「ハイエース1台で旅」したあの頃 水野良樹が「結成20周年の節目」に想うこと

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デビューしてから、今まで数え切れないほど多くの街を訪れて、ライブをしてきた。自分は出無精な性格で、もともとは旅をすることに積極的ではない人間だ。だからこの仕事をしていなかったら、日本全国津々浦々47都道府県すべての地を踏むなんていう経験をすることもなかったはずだ。

ミュージシャンにとってライブツアーというのは自分たちの成長物語を無邪気に実感できるものになりやすい。観客の数が増えていくのはステージからの景色がはっきりと変わるのでわかりやすいし、今までライブが成立しなかった遠方の地域で「チケットが完売しました!」と言われると、そんな遠くの場所まで自分たちの音楽が広がったんだと喜ぶことができる。

ハイエース1台に乗り込み旅をした日々

(写真:yanjf/iStock)

最初は移動予算もなかったから、ワゴン車のハイエース1台に機材とともに全員で乗り込んで旅をした。福岡などの遠方には14時間ほどかけて移動していた。北海道へは修学旅行生の集団に交ざって夜行フェリーに乗りこみ、大部屋で雑魚寝をしながら津軽海峡を越えて向かった。街から街へ、半日以上かけて移動することは普通のことだったので、たまに2、3時間で到着してしまう移動だと「今日はあっという間だったなぁ」などと言っていた。

それがある頃から変わっていく。新幹線に乗れるようになり、やがては飛行機に乗れるようになる。初めてグリーン席のチケットを渡されたときは喜ぶというより緊張してしまった。なんだこのふかふかの座席は!と驚いたものだ。少し下世話に聞こえてしまうかもしれないけれど、芸事の世界なので、そのような少し夢がある環境の変化も起きたりはする。

だが、だからこそ忘れない。まだ名も知られていない頃、関東からやってきた僕らのようなグループを小さなライブハウスに見に来て、それぞれの土地で熱く出迎えてくれた人たちの表情を。

いつもステージで言っていた。「もっといい曲をつくって必ずまた来ます」と。

その約束をかなえ続けたいと思わせてもらえたことによって、今までもライブツアーをやり続けられたのだと思う。嵐はいつか過ぎ去って、あの街にも必ず春は来る。いつかまた、会いにいく。

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