いきものがかり「ハイエース1台で旅」したあの頃 水野良樹が「結成20周年の節目」に想うこと
桜のような歌を書きたい
今年も春が来た。
願わくば、桜のような歌を書きたい。そう、ずっと自分は思ってきた。
東北に震災が起きたあの春にも、家の近所では桜が咲いた。当たり前と言えば当たり前だが、あの春はその当たり前がどれほど尊いものであるかを思い知らされた特別な春だった。
大切な存在を失った人々がいる。家を、生活を、そして桜の木ごと故郷を失った人々がいる。愛おしい姿のまま続くはずだった日常を、失った人々がいる。
「明日」「希望」という言葉
情けなかった。歌書きであるのに、どんな歌を書けばいいのかわからない。
嘆きも怒りも励ましも、口にすればすべての言葉が空々しく、圧倒的な現実を前に重みを失って宙に浮いていく。宙に浮いた言葉たちは、まるでこれまでの振る舞いが偽りだったのだと言わんばかりに、そのたたずまいを変容させてしまった。
「明日」という言葉はそれまでに持っていた快活さを失い、その足もとに薄暗い影をまとってしまった。「希望」という言葉だってかつての躍動感を失い、それどころか、いかがわしい軽薄さまで、その表面に露出してしまった。
何を口にしても、今こそ手を添えたい誰かの心には届く気がしなかった。
悲劇を経て、世界は変わってしまったようだ。自分は何もできない。
うなだれた目の前で、しかし、桜は咲いた。
変わらずに咲いた。
それは、あっけないほど、美しかった。
桜に誰かを励ましてやろうなどという気持ちはない。
咲き誇ってやろうという見えもない。誰かの過ちを責めることもない。たとえ悲劇があっても、何も変わらず、何も語らず、遠い過去から続く季節の繰り返しに身をまかせて、桜はそこで咲くだけだ。ただそこにあってくれることがどれほど優しいことなのか。その姿を見て、知った。
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