施:昔の京都大学とか一橋大学などにはイノベーションが起こる余地がありましたよね。大学教員の中には12月に入ったら授業なんかしたことがないと言っているような人たちがたくさんいました。学生が授業に出席していようがいまいが、平気で単位を出していました。いま同じことをやれば厳しく批判されますが、こういう環境の中から優れた学者たちがたくさん出てきたんですよ。もちろんつまらない学者もたくさんいたと思いますが、ゆとりがあったからこそイノベーションが起こったことは間違いありません。
佐藤:発酵と腐敗が同じ現象であるように、ゆとりとはつまり無駄のことです。無駄を排除するところにゆとりはない。だから偶然も入り込めず、イノベーションが起こらない。
大衆文化のイノベーションが起きた理由も中間層の存在
施:大衆文化だってそうでしょう。日本の大衆文化が一番元気だったのは、昭和の終わりごろだと思います。アニメとかアイドルとか、あるいはファッションにしてもそうですが、日本の文化がアジア諸国に広く受け入れられていました。いまも世界的に人気の高いドラえもんやキャプテン翼やポケモンなどは、たいてい昭和の終わりやその影響が残っていた平成の初め頃に出てきたものです。社会が豊かで、お金と時間を比較的自由に使える分厚い中間層が存在したから、勝手にイノベーションが起きたのです。
これはいつの時代にも言えることですね。私は園芸が好きなのですが、日本の江戸時代の園芸文化は世界トップクラスでした。万年青(おもと)という観葉植物がありますが、万年青の愛好者は斑入り(葉っぱの白い斑点や縁取り)の葉っぱを高く評価します。このように斑入りの植物を愛でるようになったのは日本が先駆けだそうです。当時のイギリス人もそのことを認めています。江戸時代の美的感覚は非常に進んでいたのです。なぜかと言えば、江戸の人々は武士も庶民層も世界的に見ても豊かで、時間的余裕があったからですね。武士もあまり仕事がなく、3日に一度くらいお城に通えばよかったと言われています。
中野:「旗本退屈男」なんて言われるくらいですからね(笑)。
施:そのとおりです。まさに退屈した旗本が朝顔を作ったり、仕事のない鉄砲組の侍がツツジを作ったり、あるいは鉄砲鍛冶が花火を作ったりしていたのです。