コロナ禍で自主的にマスクを着けた国民の智慧 新しい事態の難しさに「黙って処した」小林秀雄
世界的に猛威を振るった新型コロナウイルスもしだいに感染者数が減少し、ワクチンの接種も始まったが、他方で、次々と厄介な変異体が現れており、第4波の可能性も指摘されるなど、依然として収束は見通せない。
この新型コロナウイルスがはらむ最大の問題は、ウイルスが、文字通り「新型」であることにある。一般的に、未知の新しい事態に対処するのは、難しい。これまでの知識や経験が通用しないからである。
毒性や感染力より恐ろしい「不確実性」
新しい事態であるほど、不確実性が高くなる。実際、「パンデミック不確実性指数」を見ると、新型コロナウイルス感染症は、従来の感染症と比較して、圧倒的に不確実性が高い。コロナ禍の真の恐ろしさは、その毒性や感染力よりも、新しさからくる不確実性にあったのだ。
このコロナ禍という新しい事態に放り込まれている今こそ、小林秀雄を読むべきときだと私は思う。というのも、実は、あまり知られていないが、小林は、新しい事態の難しさとそれに対処する智慧について、繰り返し語っているからである。
小林秀雄といえば、その表現がわかりにくいということで悪名高い。しかし、小林が新しい事態の難しさについて書いているということさえ押さえておけば、彼の文章には何も難しいところなどないとわかるだろう。
例えば、小林は、終戦直後の座談会において、戦時中の戦争協力について問いただされ、「僕はばかだから反省なんぞしない」と言い放った。これは、有名なエピソードであるが、その意味するところは必ずしも理解されていない。
小林は、なぜ、戦争の反省を拒んだのか。
それは、彼が、あの戦争を、日本人がこれまで経験したことにない新しい事態だと直観し、その対処の難しさを、日中戦争勃発の直後から察していたからであった。
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