人間は、新しい事態に直面すると、しばしば、その対処に失敗する。だが、それは、やむをえないことである。なぜなら、先を見通す人間の能力には限界があるからだ。
新しい事態の対処に失敗するというのは、人間の宿命であり、悲劇である。あの戦争は、そういう新しい事態だったのであり、悲劇であった。悲劇の反省などできるわけがない。小林は、そう言いたかったのである。
本来、新しい事態とは、従来の思想が通用しないような状況である。にもかかわらず、人間は、新しい事態という現実を直視せず、従来の思想の型に無理に当てはめて、理解しようとしたがる。小林は、昭和14(1939)年には、すでにそう書いていた。
コロナ禍という新しい事態においても、当初、「新型コロナによる死亡率は、インフルエンザとそう変わらない。新型コロナを恐れるな」などと喧伝する知識人たちが現れた。彼らは、新型コロナの「最大特色が、その性質の全くの新しさにあるといふ事」が理解できず、インフルエンザという「在り来りの考へ方で、急いで納得したが」ったのであろう。
戦時中の政治家や知識人たちも、戦争の新しさから目を背け、「在り来りの考へ方で、急いで納得したが」った。これに対して、一般の国民は戦争に対して「黙って処した」と小林は言った。
政府の強制なしでも「耐えた」国民
この「黙って処した」という言葉もまた有名であるが、その意味するところは、必ずしも知られているとは言えない。
当時の国民は、総力戦という新しい事態に対処するために、政治指導者に煽動されるまでもなく、自然と一致団結した。そこに国民の暗黙の智慧を見た小林は、それを「黙って処した」と表現したのである。
これを読んだとき、私が思い出したのは、コロナ禍の中で、国民が政府に強制されなくとも、自主的にマスクを着け、外出を自粛し、ひたすら耐えている姿であった。国民は、コロナ禍という新しい事態に「黙って処した」のではないだろうか。

