「何になりたいか」より「どう生きたいか」 SOLIZEの古河建規社長に聞く(前編)

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三宅:その後、麻雀は続けていられるのですか?

古河:高校を卒業した後の春休みに、スキーで第三腰椎を骨折しました。ブラジルワールドカップのネイマールと同じ箇所です。それが原因で、しばらく長時間座ると腰によくなかったので、それ以来、麻雀はほとんどやっていません。ここで少しまじめに勉強するようになりました。いや、背骨を折ってよかったです(笑)。

三宅:将来、何になるか考えていましたか?

古河建規●ふるかわ・たつのり SOLIZE(ソライズ、旧社名インクス)代表取締役社長
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒。外資系コンサルティング会社を経て2000年にインクス入社。45日の工程を45時間に短縮した金型工場を立ち上げ、 2005年に第1回ものづくり日本大賞・経済産業大臣賞を受賞。2009年よりインクス社長。3年での再生終了後、2013年よりSOLIZE社長。

古河:そうですね。何になりたいかというより、どういうふうに生きたいかを考えてきました。

自らを成長させて、周りの役に立ちたいとか、やったことのないチャレンジをしたいとか、すばらしい人と一緒に仕事をしたいとか、厳しい状況でも笑顔で仕事をしたいとかのHow to doが大切だと考えています。

何になるかというWhat to doは状況により変化しますが、How to doは経験を通して進化すると考えています。

三宅:どうして、古河グループの会社に入らず、外資系のコンサル会社に入ったのですか?

古河:会社を選ぶ際に、安定しているかどうかではなく、自分がいちばん成長できる会社はどこだろうと考えました。入社した会社には自分が活躍できる場があると感じて、グローバルな経営にかかわれるのではないかというイメージを持っていました。外資系ですし、当時は今ほどメジャーな会社ではなかったので、うちの伯父たちからは「すぐクビになるぞ」と言われたりしました。私はいとこが15人ぐらいいますが、親族の中で古河グループの会社に入らなかったのは私が初めてでした。

三宅:そこには何か思いがあったのでしょうか。ベタな質問で恐縮ですが、「枠にはまりたくなかった」とか?

古河:反骨精神みたいなものはまったくなくて、古河グループ系の会社はしっかりとした歴史があるし、大企業ですから、自分が行っても大きな変化は起こせないと思いました。それに、もう財閥という時代ではないので、親族からどうしても入ってほしいという感じでもありません。むしろ、子供の頃から自分の意思で決めて自分で切り開けと言われていましたので、悩むこともなかったです。

コンサルから工場の製品開発へ

三宅:古河さんが、前職のコンサルティング会社にいたのは、1992年から2000年の9年間ですね。どのような仕事をされていましたか?

古河:最初のプロジェクトが部品メーカーのサプライチェーン構築で、中国の5つの工場で、生産管理の改革をしていました。コンサルタントとして経営戦略をパワーポイントで書くというより、工場の制服を着て一緒に現場に入り、どう改善していくかという仕事でした。

そこで出会ったお客様がすばらしくて、どこまでもあきらめないパワーを教わりました。一言でいえば、力技といいますかね(笑)。この経験がとても大きかったです。そのお客様は、今では社長になられていて、今でもお世話になっています。

三宅:面白そうですね。その後はどのような仕事をしたのですか?

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