古河:中国の後は、オランダ、その後、シンガポール、タイなどの東南アジアで、同様にサプライチェーンの仕事をしてきました。実質的にアジア全域を任されるような立場で、さまざまな国の人と仕事ができて、多様な価値観に触れることができました。日本にいるだけでは感じられないダイバーシティを実感しました。
三宅:すごいですね。楽しく仕事をして、充実もしていて、そのまま続けるつもりだったのですか、それともどこかで転職しようと思っていたのですか?
古河:当初は、転職は特に考えていませんでした。ただ、きっかけとなったのは、1998年から2000年にシンガポールで日系企業向けのサプライチェーンの仕事をしていたときに、生産現場を改革するのもいいけど、上流の製品開発の領域から改革していければ、もっとダイナミックな変化を起こせると考えたのです。
それで、当時、まだそれほど普及していなかった3次元CADを使いこなしていて、設計開発の手法などをいろいろな製造業向けに提供していたインクス(現在のSOLIZE)にディスカッションしたいと申し込んだのです。
それがご縁となり、こちらからいくつか提案してディスカッションしていく中で、製品開発からの改革を一緒にやらないかと誘われました。当初はお断りしていたのですが、1年くらいして担当していたプロジェクトの節目もあって、「えい、ここでチャレンジしよう」と決めました。
45日の工程を45時間に短縮
三宅:それで2000年末に入社したのですね。
古河:はい。当時はドットコムブームでしたから、転職するとあいさつすると、どこのドットコムだ?と、ネット系の会社によく間違えられました(笑)。
入社後は、金型工場の立ち上げプロジェクトのリーダーをやりました。K2というプロジェクト名なのですが、高い目標の山を登るという意味でのK2と、場所が大田区の蒲田で、2つ目の工場だったので、KAMATA2という2つの意味を込めました。
私がリーダーで、新卒の社員が約30人。あとは3年目ぐらいのチームリーダーが4~5人というチームでしたが、とにかく製造スピードを追求していこうと、当時、携帯の金型が45日かかるところを、45時間にしようという目標を掲げて、1年後にはそれを実現することができました。
三宅:ええっ、45日を45時間にですか?
古河:従来の金型製作は職人技に大きく依存していました。その職人技を私たちは解きほぐしていって、新しい技術も活用して実現しました。
ポイントは熟練者の「判断」が、どのように行われているのか明らかにするところです。われわれSOLIZEは、熟練者の頭の中には判断プロセスのビッグデータがあるととらえています。
実際、金型の職人さんにしかできないと言われていた判断を、細かく分解して可視化していきました。そうすると樹脂の試作金型では1000工程くらいになります。これを熟練技術者でなく、若手でもできるような判断に再構築して、さらに新しいCAD技術、ITネットワークで支援できるような金型工場を造りました。
いわば、暗黙知を形式知化し、それをITや生産技術に落とし込んでいくのです。大変なプロジェクトでしたが、ものづくりに革新を起こしたということで、第1回ものづくり日本大賞・経済産業大臣賞を受賞して、社員も喜んでいました。
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