古河:そしてその工場の工場長を経て、金型事業の部門長になりました。そして今度は赤字の関連会社を再生しようと、地方の金型会社の経営陣となって再建に取り組みました。
気づいたら本社が火の車
三宅:会社の再生は、前職のコンサルティング会社でも担当されていたのですか?
古河:いえ、コンサルティング会社時代のクライアントは、いわゆる優良企業が多いので、バランスシートやPLを見ても問題はないのです。
その金型の会社は、いきなり月末にキャッシュがショートしそうになることもあって、私にとっては飛行機の高度が下がり、山をよけながらフライトしているような気持ちでした。本来は、お客様のために目的地へ向かわないといけないのに、山があるとそちらばかり気になってしまう。会社という飛行機が飛ぶには、やはりある程度の高度は必要だと思いました。いくら技術力があっても、キャッシュフローが経営に大切だということを、実体験を伴って学びました。
そして、社員の危機感を高めるようなところから、いろいろな施策を実施して、なんとか黒字にするところまで持って行くことができました。
三宅:そうとう大変な経験でしたね。それで本社に戻られたのですか?
古河:2008年から、本社に戻り管理部の責任者になりました。戻ってわかったのですが、インクスの財務が非常に厳しい状況で、財務担当と一緒に銀行へ説明に行くようになりました。銀行はカードでおカネをおろすくらいしか訪れた経験がなかったので、私にとってはすべてが新鮮でしたが、会社にとってはとにかく深刻でした。そして、2009年に民事再生になりました。
三宅:なんで民事再生になってしまったのですか? やはり、リーマンショックの影響ですか?
古河:なんでに答えるのは難しいのですが、振り返って思うのは、再生になった理由は外の環境ではなく、自らにあったととらえています。
本質的には、人が作る価値の最大化ではなく、ITによる自動化の仕組みに突き進みすぎて、それがお客様の共感を得られなかったことが原因だと考えています。
ですからリーマンショックは関係ありません。
三宅:しかしそれは衝撃的ですね。関連会社の再建を一生懸命していたのに、実は本社がやばい状態になっていたと。後編では、その状態から、古河さんがどうやって立て直したのかを伺いたいと思います。
(構成:仲宇佐ゆり、撮影:尾形文繁)
※続きは9月17日に掲載します。
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