「打倒慶喜」果たした岩倉具視が最期に悔やんだ事

「会いたい」と死ぬ間際まで切望した人物がいた

旧紙幣に肖像が描かれた岩倉具視と伊藤博文(写真:アオサン/PIXTA)
「維新の三傑」といえば、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允だが、その裏で倒幕に貢献したのが、岩倉具視である。公家としては低い身分にありながら、強烈な上昇志向で、明治維新の立役者となった岩倉。その原動力はどこにあったのだろうか。最終回となる今回は、岩倉具視が倒幕で果たした役割と、明治新政府で果たせなかったことをお送りしよう。
<前回までのあらすじ>
下級公家の堀河康親の次男として生まれた岩倉具視は、「麒麟児(才能にあふれて将来が期待できる若者)」として見初められ、岩倉具慶の養子として迎えられた(第1回)。岩倉が中央政界に自分の存在を知らしめたのが「廷臣八十八卿列参事件」だ。安政5(1858)年3月12日、88人もの公家が関白の九条尚忠邸へ押しかけて抗議した運動を主導(第2回)。その後は、朝廷と幕府の関係強化へ奔走(第3回)。「和宮降嫁」による公武合体を実現した(第4回)。ところが、台頭する尊王攘夷派の標的となって失脚。岩倉村での生活を余儀なくされる(第5回)。その後、政治活動を再開したが、その前に立ちはだかったのが徳川慶喜だ(第6回)。岩倉は薩摩の大久保利通とともにクーデターを企てた(第7回

クーデター失敗の危機のさなかに「酒を飲んで寝る」 

「計画が露見した!」

小御所の正親町三条実愛から、岩倉具視にそう伝えられると、場は騒然とした。これですべてが終わった……そんな雰囲気さえ漂っていたことだろう。岩倉はいったい、何をしようとしていたのか。

第15代将軍の徳川慶喜が起死回生の策となる「大政奉還」に踏み切り、政権は朝廷に形だけ返上されたものの、徳川家の領地も権限も奪うことが難しくなった。

そこで、岩倉具視は大久保利通ら倒幕派とともに「王政復古の大号令」を仕掛けることを決意。数日にわたり開催が続く朝議において、密かに五藩(薩摩藩、土佐藩、福井藩、尾張藩、芸州藩)の代表者に参内させ、長州藩への赦免を得たうえで、岩倉が王政復古の勅諭案を天皇に上奏するという、クーデターを計画していた。

徳川家から名実ともに権力を奪うための政変だが、事前に漏れたら計画を潰されてしまう。にもかかわらず、尾張藩の兵が、朝の6時に御所に入る予定のところ、時間を間違えて、4時間も前の午前2時に朝議に入るという失態を犯す。その場はごまかしたものの、いつ計画が発覚したとしてもおかしくはなかった。

それだけに冒頭の知らせを受けて、岩倉はさぞ狼狽したかと思いきや、いきなり酒を用意して、みなで飲むように促しながら、堂々とこう言った。

「まだ失敗したと決まったわけではない。たとえ事が足らなかったとしても、天下に恥ずることはない。慌てることはない」

周囲はあっけにとられたことだろう。今にも計画は瓦解しようとしており、酒を飲んでいる場合ではない。本来なら、いても立ってもいられないはずだが、酔っぱらった岩倉はそのまま高いびきをかいて寝てしまった。

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